夏の代名詞とも言われるせみの声。今年も子どもたちと一緒にせみの声に耳をかたむけながら夏の訪れを感じました。そんなせみの声が8月の園庭では、まるで子どもたちの声のかわりに賑やかに響きわたります。朝、門をくぐると耳が痛くなるほどの大音量‼最初の頃は、その音量に驚くほど…。でも、そんなせみの声も気がつけば私にとって“あっ、今年もこの時期がきたなぁ…。”と感じられる夏の代名詞に~♪さらに、今年は新聞の記事で“暗く長い地下生活からやっと這い出して、短すぎる命は哀れにも思えるが、違う見方もある。”という言葉に続いて木村信子さんの詩“せみは たった一週間の命のために 永い年月、土の中で暮らさなければならない というけれど 土の中の年月こそ せみの本当の命のよろこびなのかもしれない 地上のよろこび、なんて思うのは 人間のかってな想像だ…。”が載っているのをふと目にしました。その記事を見て、“なるほど~。そんな見方もあるんだ…。”と心に響き、いつもとはまた少し違った思いももちながらせみの声に耳をかたむけた今年の夏でした。子どもたちは、せみとりに夢中になったかな?私の子どもの時も網とせみかごを持って友達と歩いた記憶があるものの、今ではめったにそんな姿の子どもには出会えず…。それどころか、幼稚園以外ではあれだけ聞こえていたせみの声も気にならなくなるぐらいでちょっぴり寂しい気持ちに…。でも、幼稚園には夏休み中も「せみがすごく鳴いていたから見に来た‼」「ひまわりを見に来たの♪」と嬉しい訪問者が~。そんな子どもたちとケヤキの木陰で一休み。「幼稚園いつもより静かだね。先生寂しい?でも、せみはうるさいね♪」そんな会話をゆっくり楽しむのも夏休みならではの楽しみのひとつ。夏休みだからこそ、卒園生の小学校の子どもたちが友達をつれて遊びに来てくれたり、ちょっと遠くへ引っ越された方もご家族で来てくださったりとたくさんの嬉しい懐かしい笑顔にも出会えます。なにより、何年たってもこうして“ただいま‼”と帰ってきてくれる場所であるということが嬉しくて誇らしくて、ここ公同で大切にされ続けているつながりだと強く感じました。そんな出会いがたくさん与えられていることに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。今年も教会学校では、後川キャンプ・沖縄キャンプが行われました。自然いっぱいの場所で、子どもたちが子どもたちらしく輝く豊かなひととき。そんな素晴らしい子どもたちと一緒に過ごした日々は、私にとってもこれからへと続く新たな一歩であり、かけがえのない時間でした。今の時期・その場所ならではの物を味わう。風や自然を身体いっぱいに感じながら、仲間とともに思いっきり遊び・感じ・学ぶ。そんなキャンプを支えて下さった方々、たくさんの見守り・協力・応援に心より感謝いたします。長くも短かった夏。短くも長かった夏。それぞれの夏がたくさんの喜びとともにこれからの一歩へとつながっていきますように…。
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