寒さの厳しい季節となってきました。幼稚園の園庭には赤や黄色の落ち葉が舞い散り、上を見上げても下を見降ろしても、色鮮やかな葉っぱの絨毯が広がっています。私が初めて公同幼稚園に訪れたのは、まだ園庭の、桜のつぼみがつき始めた今年の3月でした。当時まだプレぽっぽさんだった今のぽっぽさんたちが、自由に園庭で紙飛行機を飛ばして楽しんでいた姿がありました。緑いっぱいに囲まれた園庭、木造の温かみのある園舎、そして屈託のない子ども達の笑顔に、4月からの日々を心待ちにしたのを覚えています。
大学の助手として勤務していた4年間、教育実践や子育て支援の授業、博士論文の関係で、多くの幼稚園や保育所を訪れ、様々な特色を見てきました。それぞれの園で多く学ばせて頂いてきたのと同時に募らせた、「私も現場に出て、担任を持ってみたい。子ども達との時間を過ごしたい」という思い。
この思いを現実にするためにと、離職を決断するきっかけとなったのが結婚でした。3月に結婚し、住み慣れた町を離れてすべてが新しい毎日となった4月。住み始める場所を聞いて、公同幼稚園を紹介してくださった先輩には心から感謝しています。そして満開の桜が舞う中始まった公同幼稚園での毎日。念願だった担任を持たせていただき、もう毎日が驚きと楽しみと学びとで、目まぐるしく進んできた8カ月です。そしていつも私の傍には、同じく公同幼稚園1年目のぽっぽさん達がいます。一緒に驚き、見つけ、悩み、楽しみ・・・いつも大切なことを気づかせてくれる、私の先生でもあるみんなです。4月当初は“近藤”の姓に慣れなくて、旧姓に寂しさを覚えていましたが、「こんどー!」と毎日元気に呼んでくれる子ども達のおかげで、この苗字が大好きになりました。
そして家に帰ると、その日あったことを話したり、ついつい歌を歌ったり、ダンスを踊ったり・・・旦那さんがエビカニクスを完璧に踊れるようになったのを見ては笑い、今の私の生活が公同幼稚園で溢れていることを実感しています。
保育の質が問われる現在、よいと言われる保育にも、何か引っかかりを覚えていた昨年度までの日々。そんな中注目を集めていたイタリアのレッジョ・エミリアという都市の保育を教育視察に訪れたことがあります。そこには自然物が溢れ、子ども達がそれぞれの時間を豊かに過ごしていました。そして一切強要やカリキュラム化された保育に縛られていない子ども達の生活がありました。そして地域からは、税金の多くが教育費に使われたり、廃品物や売れ残った商品などの資源が大きな施設に集められ、膨大な教材が収集されるシステムが根付いていました。一緒に行った日本の先生方からは「どうしたらこんな保育が日本でも展開出来ますか?」と明日にでも出来るような方法を聞く質問が多くありました。だけどなんだかそんな薄っぺらいものではないような気がして・・・。すると向こうの先生が「私たちの生活は私たちを思う人々とネットワーク、この地域にあるからこその今なのです。だから私たちの真似はほかの誰にもできないし、あなた方の真似もできないのです」と。
そしてこの8カ月間、運動会やおまつりを経験してきて、公同幼稚園を支える人と人との繋がりに驚いてきました。どうして幼稚園の運動会で、あれほど盛大にリレーが出来るほどの小学生が集まるのか。おまつりの商品やゲームが心のこもった作品で溢れることができるのか。どうしてこんなにも豊かな頂きものが届くのか。なぜ限られた時間の中で幅広い豊かな経験ができるのか。今まで見てきた保育の世界とは大きく色が異なっている公同での生活。そこには子ども達を思う温かい気持ち、そして長年の、公同を思う強い気持ちが多く存在していることを実感します。在園の3年間では終わらない繋がり。決して簡単なことではないこの関係、この環境は、公同幼稚園の宝なのだと思っています。レッジョ・エミリアの先生が言っていたことが、心の中にスッと入ってきた私と公同との出会いです。
そして長年築かれてきたこの恵まれた環境のもと、新しく仲間に入り、多くの経験や学びを共有させて頂いていることに心から感謝しています。
初めてのことだらけで至らないことが多くある中、いつも温かく、優しくご指導やフォローをしてくださる、園長先生、順子先生を始めとした諸先生方、そして保護者の方々を始め公同幼稚園を支える多くの方々には感謝の言葉しかありません。
そしてこれからも、子ども達や先生方と、保護者の皆さんや地域の方々と、その一瞬一瞬を豊かに楽しく過ごしていけるよう、日々邁進していきたいと思っています。
明日からの日々が、子ども達にとってまた新たな出会いと笑顔へと繋がりますように。そう願っています。
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