(前週よりのつづき)
その処理工場として建設されているのが、青森県、六ヶ所村の再処理工場です。
しかし、再処理工場は建設されてはいるものの、1984年の構想発表、88年の着工からおよそ37年経った今も稼働するには到っていません。使用済み核燃料そのものの扱いが、高濃度の汚染物質である為難しいのと、たとえ処理されたとしても、その結果発生する放射性物質も、その扱いが難しいこと、扱う技術も結果的には確立していないことです。
東電福島の重大事故は、その事故の理解をめぐって、東電・国は「想定外」ということにして、事故の事実、本来の意味を問わないことにしてしまいました。
そうではなくって、東電福島の重大事故は、決して事故を起こしてはならない原子力発電所というものの、稼働の絶対的条件を、条件としなかった事によって、事故の事態を招いたことを掘り下げるようにしないことにこそ問題があるのです。
放射性物質は、それが環境中に放出された時、その扱い・処理、毒を消し去ることは不可能です。稼働することによって残る、ないしは発生する使用済み核燃料の扱い、再処理工場の稼働が行き詰っているのも、その技術の確立が困難な為です。再処理の技術も、再処理した場合の更にそれを燃料と称する放射性物質の取り扱いも、その技術は確立していません。
東電福島の事故は、そうした一切の事をあからさまにする事故だったにもかかわらず、「想定外」とし、原子力を発電・電力をそこから引き出す技術の未熟・不完全さこそ問われなければならないはずだったことが、無視・切り捨てられてしまいました。
そして、一つには、たとえば使用済み核燃料の、処理ではなく「中間貯蔵」、他方では、処理不能のトリチウムの海洋放出となっています。
いいえ、トリチウムの海洋放出・環境中への放出はほんの一部であって、事故の東電福島の敷地では、途方もない量の放射性物質が、「特殊原子力施設」の名のもとに、溜まり続けているだけでなく増え続けています。
東電福島の重大事故は、その緊急事態のまま継続しているのです。
事故で燃料が溶け落ち、原子炉本体も溶かしてしまった結果の「デブリ」には、今も冷却の為の水が注入され、その壊れた原子炉に流入する地下水と合わせて、毎日約100トンと言われる高濃度の汚染水が漏れ出しています。
その汚染水の処理の一段階であるセシウムは、「セシウム吸着塔」を経ることによって、吸着したセシウムが特製のカートリッジに詰め込まれ、敷地内に保管され、増え続けています。更に、残った多核種と呼ばれる放射性物質も、カートリッジに詰め込まれ増え続けています。
そのいずれも、それ以上の処理は不可能であり、溶融燃料がそのままである限り、それらは処理不能のまま増え続けるのです。(セシウム吸着塔計1070。多核種除去設備、スクラー、塔、ベッセル3種計4508、合計5578本。東京電力ホールディングス担当・草鹿。2025年7月末現在)
そんな一方で進められようとしているのが、「第一原発5,6号機と第二原発/使用済み燃料、搬出方針、東電、青森の中間貯蔵へ」です。
(次週につづく)
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