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小さな手大きな手

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2017年10月03週
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22年前、避難所から神戸市役所前に集まった兵庫県南部大地震で被災した人たちと、市役所前のポールに大きなのぼりをかがげることになりました。
 一枚は「絶望の虚妄なることは希望と相同じい」、もう一枚は「希望なきところに救いを得たり」でした。いずれも魯迅の「雑文」からです。(出典がどこだったか、調べなおしています)。魯迅がこんな文章を書いていた中国(中華民国)で、悲惨な状況の社会・国を変えたいと願った若者たちが無残にもむざむざ殺されていました。「劉和珍(リウホーチェン)君を記念して」は、中華民国15年(1926年)、段祺瑞執政府によって殺害された、劉和珍、楊徳群(ヤントーチュン)のことを書いた魯迅の「雑文」です。「といっても私は実は何も言うことはない。私はただ住んでいるところが、人の世ではないと思うだけだ。40数人の青年の血が、私の周囲に満ちあふれて、私の呼吸、視聴を困難にしている、どうして言葉なんかがあろうか。長歌をつくり哀悼するのは、苦病がおさまってからでなければならない。ところがその後の数人のいわゆる学者文人の陰険な論調は、特に私に悲しみを覚えさせた。私はもはや憤りを通りこした。私はこの世ならぬ世の真黒な悲しみを深く味わった、私の最大の哀悼を、この世ならぬ世にハッキリ示して、彼らに私の苦痛をよろこばせ、そしてこれを後から死ぬものの、ささやかな供物として、つつしんで逝ける人の霊前にささげる」。
 1995年1月17日の大地震を生き残り避難所で生活していた人たちが、神戸市役所前に集まっていました。色んな人生を生きて一人暮らしだった人たちの多くは、古い木造の住宅に住んでいて、その生活を奪われることになり避難しました。避難所は一人一人の生活の工夫が許されない状況で管理され、有無を言わせない避難の期限及び選択の余地のない仮設住宅への移動を、なんとか柔軟にして欲しいとの願いで、高齢の被災者が神戸市役所前に集まったのです。国・県・市は耳を貸しませんでした。色んな人生を生きて、不自由なりに言葉を交わしあう仲間や地域があった、それを根こそぎ奪ってしまったのが、大地震でした。ささやかな生活の工夫を知らない人たちではありませんでした。しかし、避難所ではそれが許されませんでした。そして、選択の余地のない郊外の仮設住宅で、たくさんの人たちが一人ぼっちで死んで行きました。「孤独死」です。
 「…私の最大の哀悼を、この世ならぬ世にハッキリ示して、彼らに私の苦痛をよろこばせ、そしてこれを後から死ぬものの、ささやかな供物をし…」が、魯迅の「絶望の虚妄なることは希望と相同じい」「希望なきところに救いを得たり」になり、神戸市役所前ののぼりに書きしるされることになりました。
 希望の党が党の公約と「『希望への道』しるべ、12のゼロ」を発表しています。公約「・消費税増税凍結、・議員定数・議員報酬の削減、・ポスト・アベノミクス経済政策、・原発ゼロへ、・雇用・教育・福祉の充実、・ダイバーシティ社会の実現、・地域の活力と競争力の強化、・憲法改正、・危機管理の徹底」、「希望への道」しるべ、12のゼロ「・原発ゼロ、・隠蔽ゼロ、・企業団体献金ゼロ、・待機児童ゼロ、・受動喫煙ゼロ、・満員電車ゼロ、・ペット殺処分ゼロ、・フードロスゼロ、・ブラック企業ゼロ、・移動困難者ゼロ、・花粉症ゼロ、・電柱ゼロ」。
 希望という場合の普通の理解は、「自分がこうなりたい、人にこうしてもらいたいとよりよい状態を期待し、その実現を願うこと。またその事柄」になります(新明解国語辞典、三省堂)。「希望」は、すぐれて一人の人の個人的でかつ固有の事柄、出来事に関するはずですから、たぶん、そのことに大きな枠組みとしての政治ないし国家が口出しするのはよろしくないように思えます。あるいは、政治ないし国家のあるべき姿は、希望などということを口にするのをひかえるべきであるように思えます。「国民の『私的領域』に立ち入る」べきではないのです。
 更に、この希望の党の公約「希望への道」しるべは、希望という場合の言葉の理解にあてはまり得ないものを、そこに結びつけることによって逆に政治が本来課題にするはずのことをあいまいにする役割を持たせています。意図的なのです。 
 たとえば、「公約」のほとんどは、それがもしただの希望だったら、一番大事な結果は何一つ問わなくても済むことになります。なにしろ希望は「…期待し、その実現を願う」ことなのですから。更に、希望は「憲法改正」にも及んでいます。もしそうだとすれば、この公約は、そもそも憲法というもの、日本国憲法を限りなく軽んじていることになります。たとえば、日本国憲法がそれを定義する前文「日本国憲法」で、政党が公約の希望「憲法改正」に言及したりすることを厳しく戒めています。前文・日本国憲法が、今それがこうしてあることの根拠を示し、改正・改変を軽々しく語ることも触れることもそのものが自ら戒めています。「…日本国民は、正当に選挙された国会における代表を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。中でも、日本国憲法がゆずれないこととして自らに課している前提・原則が「諸国民との協和」「政府の行為によって戦争の惨禍が起こることのないよう」です。それは更に「…日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」となっています。「憲法改正」を公約にする「希望」は、この前文・日本国憲法の「宣言」「決意」「確認」「信ずる」「誓う」などに込められたその時の国民の意思を踏みにじっていることに気づいていません。そして問題なのは、希望の党の公約、「希望への道」しるべは、「希望」の名のもとに「国民の『私的領域』に立ち入る」ことをあえてしていることです。

 「戦後日本が培った原理に、『私的領域』と『公的領域』の明確な区別があります。近代立憲国家として必須の原理に、安倍政権は首相主導で手をつけました。2008年の改正教育基本法では、前文の「真理と平和を希求」が「真理と正義を希求」に修正されました。「正義」の内容は価値観によって違い、国家が定義すべきものではありません」「国家が私的領域を侵す姿勢は、自民改憲草案にも見えます。憲法13条の『すべて国民は、個人として尊重される』が、『人として』となっている。『個人』を『人』に修正するのは、良心の自由が守られるかという点で大きく違います」(「混沌の正体/国民の『私的領域』に立ち入る政権」、加藤陽子、10月7日、朝日新聞)。「『希望への道』しるべ、12のゼロ」のいつくかは、国政政治の政党の公約と言うよりは、「個人」及び「個人的趣味」の領域で取り上げられる内容です。「満員電車ゼロ」「ペット殺処分ゼロ」「フードロスゼロ」「花粉症ゼロ」などですがこの程度のことを、政治に教えてもらうことになる「国民」は政治になめられているように思えます。あるいは、そんなことを政治に言われなければならないほど、程度が悪いということかも知れません。電車が超満員になり、それに乗らなければならない現実があるとして、そのことにひたすら受け身であることを、たとえば憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される」は、戒めているはずです。なのに、すべてに従順で、そのことを政党の政治の公約で「満員電車ゼロ」で実現するのだとしたら、国民はかなり「アホ!」と見られているか、全くアホであるかのどちらかです。「ペット殺処分ゼロ」「フードロスゼロ」「花粉症ゼロ」なども同様で、こうしてなめられている国民が、こうして国民をなめる政党の存在を許しているのだと思います。
 そうなのですが、「国民」としてのんきに笑ってばかりいない方がいいように思えます。たとえば前掲の日本国憲法の前文は「諸国民との協和」「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永久に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と宣言、決意、確認、信ずる、誓うとしていることに「国民」としてかけらでも自覚的であるなら、そこにこそ希望をすえることが、希望という言葉に恥じないようにも思えます。ただ、前文が言及する「国際社会」に目を転じてみる時に、希望が踏みにじられている現実は、1920年代に魯迅が目の当たりにしていたことと、そんなに変わりはしないのです。あからさまな「専制と隷従」が国際社会の到るところで、圧倒的な暴力で行使されています。
 そんな暴力の露出を突き付けられて、誰が「希望なきところに救いを得たり」と言えるのだろうか。
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