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小さな手大きな手

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2017年12月02週
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 “もちつき”は、たとえそこでの初めての人の出会いであっても、一瞬のうちにつなぐ働きを持っていることを、まざまざと見せつけられることになったのが、1995年の兵庫県南部大地震の後の、その年の年末の神戸市役所前の集まりでした。およそ10団体が、神戸市役所前に集まって被災した人たちに食事をふるまう集まりで、“もちつき”を提案しました。ラーメン、うどん、なべ料理などが大半だった集まりで、“もちつき”は、1団体だけでした。2つの臼を並べ、およそ100キロのもちをついたそのコーナーが集まった被災者に一番好評でした。好評だった何よりの理由は他のふるまう、ふるまわれる関係ではなく、集まったすべての人が、つき手で、かえし手で、そして“掛け声”で参加者になってしまうところです。“もちつき”は、元々が一人ではできません。つき手、かえし手はもちろん、丸めたり、準備や片付けなど(それにかつては竈の“火”の面倒など)共同でする営みだったのです。更に、いざもちつきが始まると、つき手とかえし手は“掛け声”を掛け合うことが必要です。“よいしょ”“はい”などの掛け声で呼吸を合わせるのは“事故防止”の為にも必要なのです。
 神戸市役所に集まった、その日、その時に初顔合わせの人たちも、“もちつき”はそれぞれに役割を分担し、役割を担いあう仲間にしてしまいました。当然、そこに集まった被災した人たちの顔も、“いい顔”になりました。1995年1月17日の地震は、多くの人たちの生活を一瞬のうちに激変させてしまいます。たくさんの人たちの命が奪われます。その後、6344人とも言われる死者は、その直後の死者は5800人と発表されていました。生きて、生き延びる人たちの最初の生活は避難所でした。学校の体育館などの窮屈な“雑魚寝”でした。そんな避難生活の後待っていたのは、今までの生活の市街地から遠く離れた郊外の空地に建設された仮設住宅です。今までの生活から切り離され、全く初対面の人たちが集められた仮設住宅で、多くの人たちが、言葉を交わす関係が作られないまま、身をひそめ声をひそめて生活することが余儀なくさせられました。孤立した生活です。そんな中で300人を超える人たちが孤独死していきました。
 神戸市役所前の被災者の集まりは、そんな生活を余儀なくさせられている被災者に集まってもらって、たとえ短い時間であっても、声を出し合って人としての関係を取り戻す願いで実現しました。中でも“もちつき”は、そこでつき始めるだけで、見ず知らずの人たちが声を掛け合い、役割を担いあう関係を、一瞬のうちに作り出してしまうのでした。
 1996年の神戸市役所前の被災者を支援する集まりで、10団体すべてが“もちつき”になり、およそ900キロのもちをつきました。  “もちつき”は、西宮公同教会、西宮公同幼稚園の欠くことのできない、子どもたちのおまつりです。つき手、かえし手、まるめ手、そして集まった子どもたちすべてが“よいしょ”“よいしょ”のはずんだ声で参加者になります。“食べる”と言うことは、人の生活の中で他の何よりも体と心を豊かにする営みです。その時の食べ物が目の前で、いろんな人たちの生きた働き、生きた声を共有し合うことで出来上がったもちであってみれば、その味は格別です。それもたくさんの仲間たちと顔を見合わせ、分け合って食べるもちは、格別の特別の味になるのです。  
 生まれ育った、富山県氷見市一刎(ひみし・ひとはね)は、石川県境の標高200メートルくらいの耕地などの少ない貧しい村でした。畑などを耕していると簡単に矢じりや縄文土器が見つかったりしますから、古い古い時代から人間は生活していたのです。狩猟で生活できるような深い森が広がっている訳でもありませんから、何が生活の糧になったか解りにくいのですが、とにかく古い古い時代から、人間が生活し続けていた地域ではあるのです。西宮での生活が始まり、そこ、いわゆる田舎に帰ると、“何もないから!”と半分嘆きながら、母親はついたもちを“おみやげ”にしてくれました。それは、季節を問わないおみやげでした。夏にも“おみやげ”はもちで、それは笹の葉でくるまれていました。家の裏の笹薮で、巾の広い葉っぱをつんできて、十文字に重ねた笹の葉に丸めたもちを乗せ、葉っぱを折り合わせるとちょうど四角にくるめてしまえるのでした。持ち帰った“笹もち”は食べる時、笹の香りのする、かつ葉っぱがするっとはがれ、母親によれば“笹の葉っぱは、防腐剤になる”とのことでした。  
 自分たちで育て収穫した米を食べることもままならなかった時代、もちは農民たちはもちろん多くの人たちにとって“高嶺の花”でした。軟らかくなった時に消化の良いもちは、病気、病弱な人の特別な薬食であり、普段は口にできない食べものでした。もう一つは、“ハレの日”いわゆるおまつりの時などの特別の日の、特別の食べ物であったのが、もちでした。  
 しかしと言うか、だからこそ、兵庫県南部大地震で被災した人たちの集まりで、もちつきは歓迎されることになりました。家族が、地域が集まった人たちの声であふれた、思い出がよみがえったのです。その被災した人たちが集まる“もちつき”で、必ず登場していたのが、もちつきの“名人”です。かえし技の名人もいました。手を出してかえす術が早いのです。更に、かえされる臼の中のもちがまとまっていて美しいのです。この人たちが生きてきた生活・経歴の中にあった “賃つき”のことも教えてもらいました。もちをつく道具は多彩です。臼、杵に始まって、せいろ一式(せいろ、す、ふきん)、羽釜、もち箱などが必要になります。長屋などで生活する人たちにとって、置き場所に困りますから、いつの時代からか、季節になると巡回する“賃つき屋”が仕事になったのだそうです。その“賃つき”の経験のあるおじさんと、神戸市役所前でも、仮設住宅でのもちつきでも出会うことになりました。中には、“お前、賃つき屋か?”と聞く人もありました。
 “もちつき”が被災した人たちをひっそりしてしまった暮らしから、声を引き出す集まりになる経験から、東北の地震の後、仙台方面、石巻方面にもちつきで出張することになりました。東北の冬のもちつきでしたが、集まった人たちがつき手になりかえし手になって、更に掛け声を掛け合う、兵庫県南部大地震と変わらない、被災した人たちの集まりであったように思えます。(なお東北のもちつきは、途中から、兵庫県の復興支援資金からの支援を受けることになりました)。  
 そんな“もちつき”が、このあたりでは少なからず難しくなっています。
 10年前から、12月の「NISHIKITAのクリスマス」(主催:西北活性化協議会)のもちつきが、昨年はつきたてのそのままではなく、“熱処理をすること!”の条件がつきました。“名物・大好評”のごまだれ餅や、子どもたちの大好きなきなこ餅も、おろし餅も食べられなくなり、つきたての餅を雑煮にして食べることになってしまいました。それは、それで好評だったのですが、たくさんの掛け声でつき、そのまま食べるというもちつきの楽しみは半減、いいえ本来のもちつきではなくなってしまったのです。今年は、その条件が更に厳しくなり、“熱処理してもだめ!”になってしまったのです。昨年、そして今年の“だめ!”の指示を出しているのは、保健所です。で、止む無く保健所を訪ね、事情を聴いて確かめることになりました。もちつきを公園など実施する場合、地域の保健所に「臨時出店届」を提出することになっている申請に対する指導が前掲のような内容、結果になっています。これは、指導であって可否を許可するものではありませんが、申請した書類の隅っこには「…やめてください」と書いてありました。保健所でもらった「餅つき大会での食中毒にご注意」には、過去7年間の「餅つき大会における食中毒事例」が示されていますが、「餅つき大会での注意点」5項目も示されていますから、止めなければならない訳ではありません。ですが、「もしもの時の賠償の問題があったりしますから」と、やんわりと脅してくれました。注意の食中毒事例に示されているように、確かにそれは発生しているのでしょうが、「その際に手指を介してノロウイルスに汚染した餅」が「原因」とされていますが、だったら、そんなことが起こり得るもちつきが、一つの生活文化として伝えられてきたそのことが、少なからず間違っていたことになりかねません。  
 そもそも、「原因」は、ノロウイルス汚染でなくはないのでしょうが、原因とされるノロウイルスなどに対し、人間の耐える力を弱くなってしまっていることの方がより大きな「原因」であるように思えなくはありません。耐える力、免疫力はもともとは、人間という生き物が生き延びる為の体の仕組みそのものでした。「原因」を周辺で探し出して、それをとことんやっつけるのではなく、どんな相手であっても、いくばくかは共存し得るものであるからこそ、それなりの共存の可能性を糧として生き延びてきたはずの人間が、自分の内にあったはずの免疫力を失い、かつ外にあるものをすべて「敵」としてしまった時、たまたま「それ」と出会った時に食中毒のようなものとなって発症したとするが、より事実に近いように思えます。
 「瑞穂の国」と言われ、紀元前2500年前とも言われるその国の歴史・生活そのものである米、糯米の中でももちつきが「やめてください」となる時、歴史や生活文化の根底が崩れてしまっていることを意味します。 height=1
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