(前週よりつづき)
⑨除染と住民の帰還(4月9日)、⑩復興拠点と住民の帰還(4月30日、5月3日)、⑪住民の帰還と生活(4月30日)、⑫復興拠点と避難解除(5月7日)
東電福島の事故の、中でも避難している「住民」の帰還を、事故の「区切り」とする理解で進められてきたのが、「除染」「避難解除」「住民帰還」でした。ただ、この「理解で進められる」は、もともとの理解に無理がありましたから、いくつもの「造語」で、あたかもそれがあり得るように、言わば強行されてきました。
まず、住民が避難することとなった、降り注いだ放射性物質の「除染」なのですが、「見えない」「色がない」「味もしない」など、「ないないづくし」にもかかわらず、確かに存在する放射性物質の毒は、「除染」という言葉の本来の意味には、どんな意味でもおさまり切らない物質です。それを強引に可能としたが「除染」です。当然放射性物質の「除染」は、それを除去する物理的手段や、中和・解毒するようないかなる手段も及びませんから、ないないづくしのそれを「削り取る」ないしは「拭き取る」という、原始的と言うか「ローテク」と言うよりない、手作業で実施するよりありませんでした。当然、ないないづくしですから、極めて不完全であることもまぬがれません。更に、もともとが「帰還困難区域」と設定されたりした場所の場合、その設定・定義の通り、当初は除染も実施されませんでした。除染作業そのものが、そこに入って作業をする人たちの大量の被曝をまぬがれなかったからです。
ところが「除染」「避難解除」「住民帰還」、即ち東電福島の事故を「幕引き」にする筋書きである為には、それが残ってしまうのは、いかにもまずいと言うことで、立案・実行されることになったのが、「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」の設定です。その、いわゆる「復興拠点」が帰還困難区域に設定されることになったのは、東電福島の事故前に、そこが町や村の行政・生活の中心であった為です。しかも、そこそこの広さであったそれらの場所の、更に中心部分を限定し、集中除染を実施することで設定されたのが言うところの「復興拠点」です。「復興拠点」を取り囲んでいるのが、帰還困難区域のままであるとするなら、そこは言ってみれば「絶海」の「孤島」と言うことになります。
「絶海」の「孤島」であるのが、より事実に近いとしても、東電福島の事故は「区切り」にしたいのですから、まさか「絶海」の「孤島」と言う訳には行きませんから生まれた「造語」が「特定復興再生拠点区域」です。そして、集中除染が実施された後、そこは「拠点」ですから、行政・生活の為の再生・整備が実施され、かつ、そこへの住民の帰還をうながすことになります。で、すんなり、実施する訳には行きませんから、帰還困難区域のそこに「仮」に住民が帰り、一時的に生活してみるということが実施されることになるのが「準備宿泊」です。
ただの「絶海」の「孤島」だったら、そんな手続きは必要としないのですが、絶海は絶海でも、放射性物質の毒での被曝がまぬがれない、帰還困難区域の真っ只中ですから、一つ一つがすんなりとは行きません。で、「準備宿泊」なのです。
こうして、連続する「造語」なのですが、そのまま、東電福島の重大事故、その事故対策の難しさを物語っていることになります。避難する、と言うより放射性物質の毒に対して、それが降り注ぐ、ないしは襲われた時には、生きもの・人間は逃げる以外の選択はあり得ないのです。「ないないづくし」ではあるけれども、確実にそこにあり続ける毒が放射性物質なのですから。たとえば、「絶海」の「孤島」は海という境界・線はありますが、環境中に放出された放射性物質には、どんな意味でも境界はありません。復興拠点は、取り囲む帰還困難区域からの放射性物質の毒におびやかされ続けるのを避けることはできません。
それでも、復興拠点に戻ると判断できる人は、多くはいないとしても当然です。
(次週につづく)
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