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2006年05月03週
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 魚住せつ先生が亡くなられました。亡くなられたとの知らせに、弔電を送らせて頂きました。

 魚住先生がお亡くなりになられた知らせに、およそ35年前にお会いした時のことを思い出しています。
 先生は、その頃の“乱暴”な若者たちに、手を後に組み、胸を張って立ち向かってこられました。
 決してひるむことのない、そして“おてんば娘”のようだったその様子は、乱暴な若者たちを、ふと我に返らせる力を持っていました。
 伝道部の委員をしていた時、一緒に龍野教会を訪ねさせていただいたことがあります。
 播但線の列車内で、連れて行った4才の息子と、ずっと笑顔で遊んで下さったのも、忘れられない思い出です。
 いい思い出を、心から感謝しています。

 魚住せつ先生は、1913年の生まれで、東京女子大を卒業、救世軍士官として働いた後、日本基督教団の牧師になりました。姫路市飾磨にある、姫路和光教会が牧師としての働き場所でした。工場の町で工場労働者と共に、イエス・キリストの福音を生き、そのことを誇りにしてきました。団結することでしか守れない労働者の権利の為、陰となり日向になり力になってきました。およそ35年前、“乱暴”な若者たちに、手を後に組み、胸を張って立ち向かってきたのも、そんな若者たちを嫌ったのではもちろんなく、相手に届かなかったり、心を閉ざす結果になることがまんできなかったからです。そうに違いないと、手を後に組み、胸を張って立ち向かってくる魚住先生の“おてんば娘”のような様子に、感じていました。そんな魚住先生のような人たちと出会うことで、誠実であるのは、私の営みに止まらず、誰かから委託されたものであることを、乱暴な若者なりに学んできたように思います。
 同じようなことを、乱暴な若者(学生)はその頃(1960年代後半)同志社大学で働いていた鶴見俊輔先生から学びました。鶴見先生は若者たちの身勝手な願いにこたえ、西宮まで足を運んで下さいました。願いにこたえ、太平洋戦争の後を、この国とこの国の人たちがいかに生きるか、解りやすく話して下さいました。話すことで十分に役割を終えた鶴見先生は、その後若者たちと一緒に神戸まで出掛けて、若者達の街頭行動にも付き合いました。話すことで終わってしまうのではなく、若者たちに近い位置で、神戸の町を一緒に歩いた鶴見先生のことが心に残りました。
 乱暴な若者は、その後いつまで経っても乱暴であるこのは相変わらずですが、たとえば鶴見先生の書いたものから、誠実であることの意味を繰り返し教えられてきました。教会の読書会で読んできた「教育再定義への試み」(鶴見俊輔、岩波書店)のしめくくりで、“自己教育の計画”で、“考えはじめたときにおいた道しるべ(こざかしく言えば、措定)”として、三つのことを示しています。
1, くらしそのものは、くらしの意識より大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、わたしの考えをこえる重さをもつ。
2, 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。
3, 専門の思想家をこえる仕事が、専門の思想家外の人の仕事にはある。教育専門家以外の人たちによって、大切な仕事がこれまでなされてきたし、今もなされている。
 と書く人と出会い、一緒に歩いた一回の経験が、その後、乱暴なりに自分を全く失わないで生きる原動力になってきたように思います。 height=1
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