(前週よりのつづき)
「戦争」の「証言」に耳を傾け、それを書いてきたアレクシェーヴィッチは、誰よりもその戦争を嫌い、そして戦争におびえる証言及び証言者たちの悲惨に近づこうとしてきたはずです。そのアレクシェーヴィッチの「証言」。「まるで『赤い人』はもう過去の話だと言わんばかりになってしまうと思って。でも彼らは消えてなどいなかった。現に目の前にファシズムが、ロシアのファシズムが近づいています。すでに戦争を始め、血を流しているのです」「ウクライナの人たちはもはや自分たちだけのために戦っているのではありません。もしウクライナが勝利すれば、それはベラルーシにとって、ロシアにとって、そして全世界にとって非常に重要な意味を持ちます」「ロシアに対し、ロシアの戦争に対し世界が一丸となって立ち向かい、引き続き制裁を続けること、それ以外に道はないでしょう。もちろん、外交面での努力も必要です。それから、ウクライナの勝利のために力を貸すこと。武器の援助もそうですし、さまざまな支援が必要です。ウクライナは私たちのために戦っているのですから。これは自由という概念そのものを守りぬくための戦いとさえいえるでしょう」。そのアレクシェーヴィッチの「今や私たちだれもがウクライナの勝利を信じています。なぜならそれは、悪に対する勝利、ファシズムに対する私たちの勝利でもあります」は、誰よりも戦争を嫌い、戦争におびえる証言及び証言者たちの悲惨を書いてきたのであってみれば、そのすべてを自らに引き受け「書く」覚悟の証言であるように思えます。そんな身の処し方について「でも私は、かつてアフマートワ(ヴァ)が言ったように『私は私の民とともにあった』と思っていますし」と答えています。
「否 異国の空の下ではない また他人の翼の蔭でも そのときわが民とともに私がいたのは 不幸にもわが民のいたその場所だった 1961年」(アンナ・アフマートヴァ「レクイエム」群像社)。
スベトラーナ・アレクシェーヴィッチ
1948年ウクライナ生まれ、父はベラルーシ人、母はウクライナ人、祖父母はウクライナ人。以下の著作で、2015年ノーベル文学賞。現在は、ルカシェンコ独裁体制に反対する運動の中心人物の一人となった為ドイツに亡命中。
・「戦争は女の顔をしていない」――独ソ戦の前線で闘ったソ連兵・女性の聞き書き
・「ボタン穴から見た戦争」――独ソ戦を見た子どもたちの40~50年後の聞き書き
・「亜鉛の少年たち」――ソ連によるアフガニスタン侵略を戦わされた「少年兵」たちの聞き書き
・「チェルノブイリの祈り」――チェルノブイリ原発事故対策を担わされた消防士・兵士、その家族の聞き書き
・「セカンドハンドの時代」」――旧ソ連、そしてロシアの時代を生きた「赤い人」たちの聞き書き
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