「オーウェルの薔薇」(著:レベッカ・ソルニット、訳:川端康雄、ハーン小路 恭子/岩波書店)を読みました。発行されてすぐに手に取ることになりましたが、そしてどうして「オーウェル」は「オーウェルの薔薇」なのだと思ってしまいましたが、読み始めてすぐに薔薇である理由を納得しました。
1903年生まれで、1950年に亡くなったオーウェルの生涯は、第一次大戦、スペイン内戦、第二次大戦と「戦争だらけ」でした。もちろん、その戦争は大嫌いでしたが、1937年のスペイン内戦では、一人の「義勇兵」として参戦、身近に、そして背後にうごめく戦争をつぶさに見ることになり、それは、オーウェルの人生の生涯をかけての課題となり、そのなぜを問い続けました。そうして書き残された大作が「カタロニア讃歌」であり、「動物農場」「1984」などの作品です。オーウェルは確かに、こうした作品を通して、人間に人間社会の「現在と未来」の極悪非道、その根底にある危機を冷静に検証した人間(レベッカ・ソルニット「オーウェルの薔薇」、岩波書店)ですが、たとえば、「オーウェルの薔薇」の冒頭がレットウッドについての言及であるように、戦争とは全く別の世界にも時にはそこに身を置いて関心を持ってきました。
「…戦争の反意語があるなら、時には庭がそれに当たるのかもしれない。人びとは森や牧草地、公園や庭園に独特なたぐいの平和を見出してきた」。
戦争を見つめ、戦争について書き、戦争を嫌悪したオーウェルでしたが、生きることにおいて、その渦中にあり続けることから逃避はしませんでした。「…私たちにはこの地上しかないのだから、人生をこの地上で生きるに値するものにするのが私たちの務めである」(前掲「オーウェルの薔薇」)。
こうして「生きるに値するのが私たちの務めである」とすることに、立ちはだかるのも人間の営みです。CO₂、石炭が人間の社会で大きな働きをし、同時にそれによって人間の生命がおびやかされることについても、オーウェルは言及しています。その場合、いきなり石炭ではなく、この地上の生きもの、植物たちの営みがそれへと変わっていくさまを見届けながらの言及になります。
「…湿原の草、シダ、トクサといった残余物が砂と路上の層の下で朽ちていたのが黒くなり、石炭へと変わった。われわれのもくろみはこの墓地へおもむき、死者たちを墓から引きずり出し、強いてわれわれのために働かせること、これである」、自らも「墓地へおもむき」石炭抗夫として働くことをいとわなかったのもオーウェルです。
しかし、「庭」を愛してやまなかったオーウェルの庭の様子は、「薔薇、ポピー、ビジョナデシコ、マリゴールドが満開。ルピナスはまだ花がいくらか残っている。…1946年に植えた何本かの林檎の木には実がたくさん生っているが、木はそれほど育っていない。イチゴはすばらしくよい」という具合で、更に、「鶏十数羽、豚一匹、雌牛二頭で、さらにボブという名の馬を入手した」とも書いています。
こうした「庭」、自然の営みへの没入が、同時に「…権威主義的国家とそれが私たちの魂を破壊するべく介してくることに対して抵抗する力になりえるのかという彼の課題、それが彼の仕事に活力を与えたのだ」(レベッカ・ソルニット)、に魅了されてほぼ2カ月間、「オーウェルの薔薇」とは付き合ってきました。
レベッカ・ソルニットが「オーウェルの薔薇」で、「もっと後で花を植えたルピナス、パンジー、プリムローズ、チューリップなどだ。…ふたたび薔薇を植えている。…彼はふたたび未来を植えている。あるいは、少なくとも、未来への希望を植えていたのだ」と、書いていたので、ホームセンターでバラの苗を2本買ってきて植えました。いつか(未来に)咲くことを夢みて。
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