(前週よりのつづき)
たとえば、「大型廃棄物保管庫(セシウム吸着装置などの保管施設)の設置工事開始」や「ALPSスラリー(汚泥)の安定化処理設備設置」などは、現在も増え続ける高濃度の汚染水を処理した際に発生する放射性物質の保管容器で、その保管はされたその場所での放射性物質の放出をまぬがれることはできません。それらの「固形状の放射性廃棄物の安定保管」はいずれにしても急務なのですが、「安定保管作業に遅れ」となっています。今も、それが増え続けているにもかかわらずです。
溶融燃料については「デブリ取り出し」はおろか、その形状なども、ほぼすべて解っていません。高い放射線量が、それを拒むからで、現状は、形状も解らないまま、「注水」および「地下水の流入」によって、結果漏れ出す汚染水は増え続け、それを「処理」する結果「固形状の放射性廃棄物」も同時に増え続け、その結果「安定保管作業に遅れ」となっています。
じゃなくって、「安定保管作業」などになじまない、あり得ないものによっておびやかされているのが、東電福島の事故によってもたらされている現実なのです。
なのに、現実を直視しないで、強行しようとしているのが「汚染水の海洋放出」であったり、「帰還困難区域の復興拠点外『帰還居住区域』新設」だったりします。
汚染水を「処理水」と称して海洋放出を決めたのは「政府」です。「政府2年後、第一原発から/風評被害は東電が賠償」(2021年4月14日、福島民報)。それから1年半後に「処理水海洋放出を認可」したのは原子力規制委員会です。「処理水海洋放出を認可、規制委『基準満たしている』」(2022年7月23日、福島民報)。汚染水であるものを「処理水」にして政府が放出を認めてから1年半後、それが汚染水でなくなった訳ではありません。たとえ処理水であるとしても、トリチウム及び、残留放射性物質の除去は実現できていません。汚染水なのです。
ですから、「風評被害は東電が賠償」と、風評被害も最初から折り込まれています。「処理水であるから、風評被害はあり得ない」ではないのです。そもそもが、「処理不可能」なものを「処理」水にしてしまっているのが間違いなのです。
この「汚染水」を「処理水」として海洋放出を決めてしまっている政府、更にその実施を「関係閣僚会議」で確認したことについて、地元の新聞が「不信感を募らせて」います。「国民理解が深まり、処理水問題をそれぞれが『自分事』として考えるようになれば、風評被害を心配することはあるまい」「…政府与党の有力者の認識(麻生発言)には怒りを覚える。原発事故では、いまだ帰還困難区域が残り、避難先で命を落とす原発事故関連死と認められた被災者は2335人に上っている」(1月26日、福島民報、「社説」)。
3、「帰還困難区域」の「特定復興再生拠点区域」外の「帰還居住区域」の新設
地元の新聞の「社説」の「…いまだ帰還困難区域が残り」以下は、「地元」で生きる人たちの切実さを、「地元」の新聞として切実に見聞きし、切実に書いているように読めます。
その「帰還困難区域」に、もう一つ別の「定義」ないし「解釈」が加わることになりました。真実というものが、定義ないし解釈という、恣意的な判断によって、如何様にでもなり得ることを、これらの事は示しています。
(次週につづく)
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