(前週よりのつづき)
・1月24日 「『帰還居住区域』法案提出へ、復興相方針、新制度の創設柱」「首相強調、海洋放出には触れず」
・2月4日 「福島復興拠点整備率13%、帰還困難区域除染遅れ、検査院指摘」(毎日新聞)
・2月4日 「除染半数が1社応札、検査院、『競争性確保を』」「地域独占落札率10%近く」(朝日新聞)
東電福島の事故の後、放射性物質が降り注いだ区域のうち、50m㏜/年以上の地域は、「帰還困難区域」とし、住民は避難することになりました。
ちなみに、20~50m㏜/年は、「居住制限区域」、1~20m㏜/年は、「帰還準備区域」に区分されていました。放射性物質が降り注いだ為、「危険」であり、住民が戻るとすれば、その数値が本来の放射性管理区域の1m㏜/年以下であることが条件のはずでした。
危険であるから、区分けされることになった「根拠」が数値でした。もし、避難が解除されるとすれば、その数値が本来、「安全」とされていた数値になったことが確認されて初めて可能になります。
可能になるはずでした。
しかし、放射性物質の数値は示されず、そこが「除染された」ことに基づいて、次々と避難が解除されました。たとえそこが、実際の放射性物質の数値が20m㏜/年に近かったとしてもです。たとえば、避難が解除され、子ども園、小・中学校が再開された、福島県飯舘村のそれら施設の周辺が、15μ㏜/時(約13ミリ㏜/年)であったりしてもです。
こうして、帰還準備区域、居住制限区域が、当初放射性物質の数値に基づく区分、避難であったにもかかわらず、「除染」の実施の有無で、避難解除が実施されます。
東電福島の事故で、双葉町や大熊町は、町の行政機関の中心であった区域を含むほぼ町全体が帰還困難区域になり、全住民が避難することになりました。それでも、双葉町も大熊町も「存続」することになりました。全住民が避難し、それが10年を超えて続くことになったにもかかわらずです。町が町の体をなすのは、人が集まって、集まった人たちの生活が営まれていることが前提です。
全住民が避難して、そこが帰還困難区域であったにもかからず、双葉町も大熊町も存続・存在することになりました。人が集まって、人の生活が営まれる場所ではありませんでしたが、行政機能としては存続・存在することのなったのです。
しかし、そうだとしても、人が集まらず、人の生活が営まれない場所であることが、10年を超えて続くのと、それでも町だと言うのは、そこそこ強引でした。
そこで実施されたのが、「帰還困難区域」の中に「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)を設け、当面そこに町の行政機能を帰還させることでした。それが行政機能だけの町であることは変りません。何よりの理由は、そこが本来は帰還困難区域であり、人が住んで人が生活できる場所ではない現実だからです。
にもかかわらず「帰還困難区域」の「復興拠点外」に、新たに「帰還居住区域」が新設されることになります。「…政府は、東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域のうち特定復興再生拠点区域(復興拠点)から外れた地域に、復興拠点と同様に居住が再開できるよう環境を整える『特定帰還居住区域(仮称)』を新たに設定する方向で検討に入った」「復興拠点外の避難指示を解除するための新制度で、福島再生特措法を改正し創設するのが有力だ」。
(次週につづく)
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