(前週よりのつづき)
東北の大地震、大津波の後、3月23日に、山形経由で仙台に行き、確保してもらっていた自転車で、東の方へ向かいました。海に近い松林の松は、すべて西の方に向って倒れていました。
そうして4泊した仙台では、昼夜を問わず、持参した携帯ラジオのイヤホンで東電福島の事故の様子に耳を傾け、ふるえあがっていました。
その時の恐怖から、東電福島の事故について目を凝らし、耳を傾け続けてきました。福島にも繰り返し足を運び、東電福島の事故で環境中に放出された放射性物質についても、目に付いた文献をもとに可能な限り理解しようとしてきました。
そんな中で、断片的な報道を、断片ではなく「繋ぐ」ことによって明らかになるのが、環境中に放出される放射性物質の扱いの難しさでした。環境中に放出され、生活排水などとなって下水施設に流れ込んだ放射性物質で、東電の事故前までは施設で処理されて、水も汚泥も再利用されていましたが、それが難しくなってしまいました。結果、施設内にフレコンバックで保管されることになり、放射性物質が処理不能のまま風に流され施設内及び施設近くの仮設住宅などにも飛散して汚染していました。
この「処理不能」の放射性物質を大量に環境中に放出することになったのが、東電福島の「重大事故」です。この「重大事故」という表現と意味も、東電の発行していた原子力発電所についての資料や関係機関の発行するファイルなどの記述で目にすることになります。そのいずれの場合も、原子力発電所の事故について触れていますが、それが重大事故になると、その対応・対策についての記述は、「……」となります。
記述されていないのです。想定されていないのです。
原子力発電所の稼働にあたり、「重大事故」という表現はありましたが事故対応は想定されていなかったのです。
少しややこしいのですが、とりあえずは、「重大事故」というものの現象、言葉は示されていたのですが、事故対応については一般に目に入る範囲では示されていませんでした。事故はともかく、事故対応は想定できなかったからです。
理由は簡単です。
どんな意味でも、環境中に放出されることになった放射性物質の処理は不可能だったからです。ですから、原子力発電所の稼働にあたり、その現場でのたとえ少量であっても、「放射能漏れ事故」も事業者は報告する義務がありました。
処理不能の放射性物質を、小さな事故でたとえ微量であっても、環境中に放出させない施設をつくることが、原子力発電所を稼働させる時の条件だったからです。
発電に使う核燃料を取り扱う施設・容器も、圧力・格納・建屋と、2重3重の安全を考慮したものになっていました。
そして、事故、放射性物質を環境中に放出する事故を、中でも「重大事故」は想定しないことになっていました。
繰り返しますが、「重大事故」は、2重3重の安全を考慮した施設そのものを破壊する事故です。
東電福島では、複数の原子炉でそれが起こってしまいました。
核燃料の溶融が圧力容器、格納容器も溶融し、それに伴って発生する水素によって、1メートルの厚さの建屋の壁が吹っ飛んでしまいました。
結果、大量の放射性物質の環境中への放出を止めることができなくなりました。結果、「環境」そのものである現場世界のすべてのものは「被曝」することになりました。
東電及び国、そして関係者、機関は、この事故についての東電の「想定外」をそのまま容認することになりました。事故の責任は問わないということです。
(次週につづく)
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