(前週よりのつづき)
事故の責任を問わない、問われないことに対して 福島原発事故国団が結成され、その告訴団の名で事故責任を問おうとしたのが「東電旧経営陣強制起訴裁判」です。裁判・審判と付されるのにも、「紆余曲折」がありました。「…福島原発告訴団が2012年6月、勝俣恒久元会長をはじめ東電の経営陣ら計33人を業務上過失致死傷罪で告訴・告発した。東京地検は2回にわたり不起訴処分としたが、検察審査会が勝俣元会長ら3人を、『起訴相当』『起訴すべきだ』と議決、強制起訴事件となった…2016年に強制起訴」「一審は東京地裁で2017年6月に始まり、2018年に特定弁護士側が禁錮5年を求刑。2019年9月に全員無罪が言い渡され、特定弁護士側が控訴した。控訴審は昨年6月に結審した」。2023年1月18日、東京高裁は一審に続き、3人を無罪とします。「…10メートル超の津波が襲来する予見性は無く、原発の運転を停止するほどの業務上の注意業務は認められない」「判決理由で細見裁判長は、東電子会社が最大15.7メートルの津波試算の根拠とした長期評価について『見過ごすことのできない重みを有していた』と評価。一方で信頼性に異論を唱える専門家もおり、津波襲来の現実的な可能性を認識させるような性質を備えた情報ではなかったと判断した。中央防災会議や自治体の方針にも取り入れられなかった点にも触れ、『対策を義務付けるような具体性や根拠とを伴う知見だという証明は不十分』と信頼性を否定し、一審判決を支持した」(1月19日、福島民報)。
国・東電関係者の「津波は想定外だった」「津波予見できず」が、一審、二審でもそのまま認められ、「無罪」になりました。
告訴・強制起訴となった「東電旧経営陣強制起訴裁判」は事故になった津波は「予見できた」「予見できなかった」で争われ「予見できなかった、無罪」となりましたが、原子力発電所そのものの稼働に遡り、何よりも少し長く言及してきたように、その結果「重大事故」になり得るとしたら、どんな意味でも「予見できなかった、無罪」では片付けられないように思えます。
施設として原子力発電所は、それがもし重大事故になった時には、放射性物質の放出も、事故対応そのものが難しくなってしまう施設です。技術の力を結集し、安全であることを何よりも優先した施設「いわゆるハイテク施設」は、重大事故になってしまった時には、どんな技術を持ってしても、環境中に放出された放射性物質の処理は、たとえば「削り取る」「拭う」などの人の手「いわゆるローテク」に依るよりありませんし、それを実施したとしても、放射性物質はそのまま残り続けます。
それが、「最終」のない「中間貯蔵施設」だったりします。
東電の発行する原子力発電所を紹介する文書や、原子力開発機構の原子力発電についての記述が、重大事故とその対応について書かなかったのは、それが難しい、そもそも不可能であると理解されていたからです。
津波が「予見できなかった」は、少なからず想像力を欠いた裁判所の判断としてはあり得るとしても、津波で起こったのは「重大事故」です。この裁判で問われなくてはならないのは、原子力発電所は重大事故の起こりうる施設であることです。
放射性物質が環境中に放出されることになった場合、重大事故になった場合、事故対応のすべてを難しくすることはそれを扱う人たちにとっては常識であり「想定内」のことでした。
「想定内」でありながら、限られた技術の限られた技術での「安全」を根拠に、原子力発電所を建設し稼働させてしまいました。その中核にある放射性物質の核反応は、時として「制御」という人間の技術をはるかに超え得るものであることを、人間は知っていました。
「想定内」だったのです。
そんな周知された想定内を、想定しないことにして原子力発電所は稼働されているのです。
東電福島の事故の直接の引き金になったのはそれを稼働させる当事者は、早くから「想定外」の津波ということにして、その意味での責任は一切取らないことにしてしまいました。
しかし、原子力発電所という技術を扱う時の、その中核にある放射性物質は、その反応の制御が失われて暴走を始まる時の対応は難しい、不可能であることは「想定内」でした。
(次週につづく)
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