(前週よりのつづき)
「土地規制法対策沖縄弁護団のメンバー、仲山忠克弁護士は今回の指定を『台湾有事』に備えた基地機能維持強化への取締りが目的だと指摘する」「今回は自衛隊基地などが指定候補となったが、今後は在沖米軍基地も指定されるとの見方も強い。『土地規制法の廃止を求める県民有志の会』共同代表の仲松典子さんは今後、自衛隊駐屯地周辺だけでなく、米軍基地周辺での反対運動などさまざまな場で影響が及ぶことを懸念する。『県内各地の抗議の声がどんどん封じられるのではないか。恐ろしい』と、沖縄のさらなる『軍事要塞化』に危機感を示した」(以上、5月13日、沖縄タイムス)。
土地規制法及びその施行が中でも沖縄で「現実味」を持つのは、もちろん「有事」を想定して、先島諸島での基地及び基地機能を強化する国・政府の方針に基づいています。そこで「対峙」しているのは途方もない軍事力と、その強化を進めている、米・中です。当然、「地勢」から言って、沖縄・先島諸島がその渦中に置かれてしまうことになります。なのにと言うか、「対峙」する両軍事大国のはざまにある国として、場合によっては「対峙」によってもたらされる現実「戦争」は、どんな意味でも結果として取り返しの付かない悲惨な現実に身を置くことになってしまいます。中でも、それがより現実として及ぶことになるのが、そこで生きて生活する人たちです。この土地規制法から抜け落ちているのは、「そこで生きて生活する人たち」、沖縄の島々で生きる人たちです。もちろんそれは、たとえ「遠く」からながめている、兵庫・西宮の人たちにも及ばないはずはありません。及ばないはずはありませんが、やはり「遠い」感覚で生きてしまっています。
ただ、この「『遠い』感覚」は、それで生きる人たちの人間としてのありようを、その根底から蝕まずにはおかないはずだからです。
「対象が個人であれ地球そのものであれ、語りかける相手や扱う問題への敬意として、精密さ、正確さ、明瞭性は重要だ。歴史的な記録に対する敬意としても、それはある種の自尊心でもある」「人生の意味の探究は、人生をどう生きるかにかかっているが、同時に、それをどう言葉で述べるのか、また、自分のまわりとほかに何が存在するのかにもかかっている」(「それを、真の名で呼ぶならば」レベッカ・ソルニット、岩波書店)。
以下、「沖縄の食文化」(著:外間守善/ちくま学芸文庫・2022年)より
また、尚(しょう)泰(たい)久(きゅう)王によって鋳造された「万国津梁之(ばんこくしんりょうの)鐘(かね)」(1458年)の銘文には、琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす。此のニ中間に在りて湧出する所の蓬莱島なり。舟楫を以て万国の津梁となし、異産至宝は十方刹に充満せり。(以下略、原漢文)
と刻まれいて、海外に雄飛して異産至宝を集め、理想的な平和郷蓬莱島たらんとする気宇と気迫が伝わってくる。
(第1章 沖縄の歴史と食文化)より
外間守善は沖縄戦の際に19歳で現地入隊し、沖縄戦の終戦の日といわれる6月23日のずっと後まで戦いを余儀なくされた人でもある。激戦につぐ激戦の中を伝令として駆けずり回ったが、飲み水もなく、「しばしのまどろみの中でいっぱいの水、ひと握りの白米飯を幻覚した」と『私の沖縄戦記 前田高地・60年目の証言』(角川ソフィア文庫)にある。
(解説 偉大なるガチマヤー)より
外間守善:1924~2012年。伊波(いは)普猷(ふゆう)の後を継いだ琉球文学・文化研究の第一人者。法制大学名誉教授。1950年、國學院大學文学部国文学科を卒業し、東京大学文学部言語研究室で学ぶ。大学では金田一京助、柳田国男の教えを受け、東京大学で、]服部四郎に師事する。著書に、「おもろさうし」(岩波書店、1985年)。「沖縄の歴史と文化」(中公新書、1986年)など。
[バックナンバーを表示する]