(前週よりのつづき)
トリチウムが、こうした放射性物質であって、かつ原子力発電所の稼働では、その海洋放出が避けられないのであるとすれば、そもそもが安全であるということではなく、希釈して放出の場合の濃度を根拠なしに決めて、それを後付けるようにして「安全」と定義しているに過ぎないことになります。
しかも、重大事故の東電福島の場合は、「処理水」と称する前に、大量の汚染水が環境中に放出されているのであって、この場合は処理でもなく「処理しても除去できない」トリチウムを含む汚染水の海洋放出が問題になっているに過ぎません。
たとえば「多核種除去設備(ALPS)で処理しても除去できない」ものを、「処理して除去した」とされる多核種は、別に環境中に大量に残されることになっています。たぶん、この場合の多核種について、IAEAは「国際的な安全基準」は持っていないはずです。東電福島の重大事故で、現在も放出され続ける大量の汚染水と、その「処理」に追われた結果の、環境中で増え続ける汚染物質について、本来は環境中にあってはならないと言う以外、どんな国際基準もあり得ないからです。
そうして、環境中に残されて増え続ける放射性物質については、一切言及しないで、トリチウムを含む汚染水に限って、安全基準を示してしまうとすれば、IAEAそのものの存在理由が問われることになります。
「原子力」の「力」を取り出しそれをコントロールして使うという場合、コントロールが不可能になることが起こり得ることが、たとえば東電福島の重大事故です。
その結果のほんの一部に過ぎないトリチウムを含む汚染水さえも、何一つ処理できなくて海洋放出するよりありません。そうして、処理できないものを「処理水」にしてしまうとしても、結局はできるのは、「国際的な安全基準」の濃度に「希釈」し、それを海洋放出・環境中に放出することです。
原子力発電所の稼働は、場合によっては人間の処理・対応を超えるものを存在させてしまうことの事実が、IAEAの言うところの「海洋放出は国際基準に合致」です。
それは人間の身勝手、海洋という自然とそれを生活場所にする生きものに対する、その尊厳への冒涜以外の何ものでもありません。それが、今まさに日本・日本政府によって実施されようとしている「トリチウムを含んだ処理水の海洋放出」です。
「処理不能」の放射性物質・汚染水を大量に今後海洋放出し続けるということは、東電福島の周辺から始まって、東北の太平洋側の海及び、地域、そして北海道、関東の海及び地域、東海・関西の海及び地域…九州・沖縄、更に朝鮮半島・中国など、そして世界全体が放射性物質・汚染水によって汚染されることを意味します。
ここで、もう一度、何が起こっているのかを整理すると…。
(次週につづく)
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