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2006年06月04週
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 アンデルセンの童話やアンデルセンについて書いたものを少しずつ読んでいます。
 アンデルセンが生まれたのは、デンマークのフューン島(フェーン島、フェーネン島?)です。で、ふと思い出したのが「スヴェンボルの対話」(野村修、昌文社、1971年)の舞台はデンマークだったことです。ナチス・ドイツから逃れた、ヴァルター・ベンヤミン、カール・コルシュが一時身を寄せることになった、同じようにナチス・ドイツから逃れたベルトルト・ブレヒトが住んでいたデンマークのスヴェンボルです。そのスヴェンボルが、アンデルセンの生まれたフューン島だったことを、「スヴェンボルの対話」をめくっていて気がつきました。ブレヒトが、当面の亡命先としてフューン島のスヴェンボルを選んだのは、そこがアンデルセンの生まれた島であったことと関係があったのかも知れません。

 「スヴェンボルの対話」は、大切にしてきた本の一冊です。序章を開いた右ページには「・・・待つことにたいして、ひとの助けになるのは希望することである。希望するときには、ひとは飲むだけではなく、煮たきするものを多少はもっている」という、エルンスト・ブロッホの文章が紹介されています。人の生や死をめぐる事実や出来事の中で生きてきて、ブロッホの“・・・希望するときには、ひとは飲むだけではなく、煮たきするものを多少はもっている”に、もう一つの自分の言葉のきっかけを、その言葉に得てきたように思っています。昨年の星まつりのカードのために、“短歌”を3つ作りました。たとえばその時の“光年の 希望なき旅 果たし終え・・・”や“ひと震れに 希望を絶たれた・・・”や“希望なき 世を踏み出した・・・”などは、ブロッホの言葉があって初めて書けたように思っています。

 そんなことを思い出しながら、「スヴェンボルの対話」をめくっていて、デンマークのことで思い出したのが、映画「愛と哀しみの果て」「バベットの晩餐会」のことです。いずれも原作は、デンマーク生まれの作家、アイザック・ディーネセンです。「愛と哀しみの果て」は、ディーネセンがアフリカのケニヤで過ごしたおおよそ17年間を描いた自伝「アフリカの日々」が映画になりました。“植民地”で過ごした日々の自伝であるにもかかわらず、「愛と哀しみの果て」は、そんなにひどくアフリカを描いてはいません。「・・・ヨーロッパがアフリカ人の暮らしを手ひどく邪魔した場合、彼らは蟻塚に棒を突込まれた蟻のように行動した。この場所がらをわきまえないふるまいを抹殺しようとしているかのように、速やかに、無言で、不屈のエネルギーをもって、その損実をぬぐいさるのだった」(前掲書、アイザック・ディーネセン)。「バベットの晩餐会」がそのままタイトルになった映画の舞台の一つがデンマークより更に北の小さな村です。その村の牧師の娘のバベットは、パリの有名なレストランで働いて“名声”を獲得します。そんな名声を捨てたバベットは、故郷に帰り村の人たちに、全財産を使って“至福の料理”を用意します。至福の料理のための無償の行為が、寒々とした北の村の人の心にもう一度灯をともす、風景も美しい映画なのです。

 アンデルセンは、そんなに熱心に読んできた訳ではありません。今少しずつ読んでみる時に、“・・・幻滅からの希望の不断の再生”(前掲、「スヴェンボルの対話」)のまっただ中で、童話・物語を描いているように思えます。「パンをふんだ娘」のインゲルは、沼地に投げ入れたパンと一緒に、沼地に沈んでしまいます。そこには、決して簡単に光がさすということはありません。ありませんが、「・・・苦しみもがいているインゲルの魂は、この世での行いを一つ一つ思い出しているようでした。そして、今まで決してなかった熱い涙を流して、魂のそこから恐ろしさにふるえました。インゲルは自分をあわれむきもちでいっぱいになりました」時に、全く何も起こらなくはないのです(「パンをふんだ娘」アンデルセン童話集)。


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