(前週よりのつづき)
2022年に全面施行された「土地改正法」の対象地域に沖縄が多いのは、「有事」が想定されているからで、それは単に土地規制に止まらず、際限なく市民生活に及び得ることにもなります。「2021年6月に成立の土地利用規制法には、当初から懸念があった。『重要施設』の『機能を阻害する行為』が判明すれば、中止勧告や命令を出せるだけでなく、従わなければ罰則を科す一方、『阻害する行為』の中味が具体的ではない。また、基地や環境問題に対する市民運動の制限など表現の自由を侵害する恐れもある」(以上、5月13日、沖縄タイムス)。
「土地規制法対策沖縄弁護団のメンバー、仲山忠克弁護士は今回の指定を『台湾有事』に備えた基地機能維持強化への取締りが目的だと指摘する」「今回は自衛隊基地などが指定候補となったが、今後は在沖米軍基地も指定されるとの見方も強い。『土地規制法の廃止を求める県民有志の会』共同代表の仲松典子さんは今後、自衛隊駐屯地周辺だけでなく、米軍基地周辺での反対運動などさまざまな場で影響が及ぶことを懸念する。『県内各地の抗議の声がどんどん封じられるのではないか。恐ろしい』と、沖縄のさらなる『軍事要塞化』に危機感を示した」(以上、5月13日、沖縄タイムス)。
土地規制法及びその施行が中でも沖縄で「現実味」を持つのは、もちろん「有事」を想定して、先島諸島での基地及び基地機能を強化する国・政府の方針に基づいています。そこで「対峙」しているのは途方もない軍事力と、その強化を進めている、米・中です。当然、「地勢」から言って、沖縄・先島諸島がその渦中に置かれてしまうことになります。なのにと言うか、「対峙」する両軍事大国のはざまにある国として、場合によっては「対峙」によってもたらされる現実「戦争」は、どんな意味でも結果として取り返しの付かない悲惨な現実に身を置くことになってしまいます。中でも、それがより現実として及ぶことになるのが、そこで生きて生活する人たちです。この土地規制法から抜け落ちているのは、「そこで生きて生活する人たち」、沖縄の島々で生きる人たちです。もちろんそれは、たとえ「遠く」からながめている、兵庫・西宮の人たちにも及ばないはずはありません。及ばないはずはありませんが、やはり「遠い」感覚で生きてしまっています。
ただ、この「『遠い』感覚」は、それで生きる人たちの人間としてのありようを、その根底から蝕まずにはおかないはずだからです。
「対象が個人であれ地球そのものであれ、語りかける相手や扱う問題への敬意として、精密さ、正確さ、明瞭性は重要だ。歴史的な記録に対する敬意としても、それはある種の自尊心でもある」「人生の意味の探究は、人生をどう生きるかにかかっているが、同時に、それをどう言葉で述べるのか、また、自分のまわりとほかに何が存在するのかにもかかっている」(「それを、真の名で呼ぶならば」レベッカ・ソルニット、岩波書店)。
(次週につづく)
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