前週のつづき)
どこであれ、原子力施設を稼働する限り、トリチウムを含む放射性物質の環境、海洋などの放出は避けられないことを、一つにはIAEAの報告書、更には「国内外の主な原子力施設の年間放出量」の表によって明らかです。
その放出の場合の「国際基準」が、1リットルあたり6万ベクレルで、たとえば青森県六ケ所村の再利用処理工場の場合、正式に稼働していないにもかかわらず、年間に1300兆ベクレル(2007年度)に達しています。
そうだとすれば、「国の基準をクリアした水だけを海水で希釈し、トリチウム濃度を1リットルあたり1500ベクレル未満(国の放出基準の40分の1)にして海に流す」は、安積高2年のMさん、磐城高2年のHさんの「問い」のこそが、事柄の事実を突くものであり、「1リットルあたり1500ベクレル未満(国の放出基準の40分の1)」は、「茶番」以外の何ものでもありません。
ただ、こんな事が、国・政府をはじめ、本来の意味での情報を伝えるメディアでも、それを示される人々も(2人の高校生以外)、それ以上の受け止め方も言及もしないのは、どんな事態なのだろうか。そして何よりも、科学者の声が聞こえてこない。
「私」は、いわゆる科学者ではないが、科学的思考は尊重する事を生き方と言うか生き方の基本にしてきたように思えます。今、たとえば、東電福島、辺野古新米軍基地建設の、国・政府の進め方に強い違和感を持つのは、私程度の人間が、2人の高校生と同じくらいの「真っ当な」疑問が、等(とう)閑視(かんし)されてしまうことです。
(次週につづく)
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