「戦争語彙集」は、元々は、戦争後なのですが、戦争が日常になった時、その日常の日常も激変することから、「語彙集」になりました。
例えば、“バスタブ”という言葉は、本来の「入浴する場所」ではなくなり、命の助かる可能性がある、家の中で唯一の安全な場所という意味になり“キノコ”とは、決して牧歌的なものではなく、爆撃によって立ち上るキノコ雲(とそれを見つめる人々)のことを指すようになった。“雪”は、地下室に駆け降りるよう子どもたちに促すために母親が考えた言葉遊びで、空襲警報の別名だ。“きれいもの”という言葉は、肯定的な合意を失い、逆に「危険」を意味するようになった。「戦争語彙集」は、そうして戦争によって、変容した言葉についての、オスタップ・スリヴィンスキー(ウクライナの詩人、エッセイスト、翻訳家、文芸評論家)の言葉の紹介と、後半は訳者であるロバート・キャンベル(アメリカ合衆国出身の日本文学者、東京大学名誉教授)の出会いの記録。そして、「戦争語彙集」を紹介しているのが、図書2024年5月号(岩波書店)の沼野恭子の「戦時下の詩人 ―スリヴィンスキー氏その対話」。「ウクライナが防衛を続けるには、月7万5千~9万発が、大規模な攻勢に出るには、20万~25万発が必要」としているのは、「155mm榴弾砲(最大射程24km)」。(2024年5月6日、朝日新聞)。
これは、「語彙」ではなく、「丘陵などの遮蔽物越しに、遠方の車両や、部隊、壁壕にこもる。さらに打撃を与える、射程22.5km、爆薬約10kgの「兵器」。
パレスチナ・ガザで起こっていること、「正確には起こしていること」について、ネタニヤフは「ハマスの懺滅」と言っているが、起こっていることは「…イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区侵攻は、大量虐殺を伴いながら、ほとんどの市街地と難民キャンプについて、住宅、商店、工場、学校、病院、モスク、教会、インフラ施設などが徹底的に破壊され、根本的に居住不可能な空間が創出されつつある。長期にわたる封鎖政策で住民および物資の越境的移動も著しく制限され、集団飢餓、さらに餓死まで生じている。これは、端的に「民族浄化(エスニック・クレンジング)」、つまりガザ地区からパレスチナ社会を抹消するための政策のように見える」(「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である。欧米の植民地主義、人種主義の帰結」「世界2024年5月号/岩波書店」より、早尾貴紀(東京経済大学)。
「…死者だけの問題ではありませn。イスラエルは、大学も病院もモスク(イスラム教礼拝所)も、目に入るすべての建物を壊しています。私は、空爆から逃げながら、自分の街が、ただただ破壊され、崩れていくのを見ました…」(インタビュー「ガザ危機が、問うもの」パレスチナ人弁護士、ラジ・スラーニ、2024年5月7日、朝日新聞)。
「一つは、世界に関すること、もう一つは言葉には関すること。私たちが周りを見回し、今日の方が、昨日よりもいい、と言えるまでに至らないのではないかということを、私は恐れている。二つ目の恐怖は、言葉を失うことば。ある日目が覚めたら言葉がなくなっているかもしないということ。この数カ月のあいだ、私はこの二つの恐怖について思い知らされた」「文藝2024年夏季号」(河出書房新社)より、『かつて怪物はとても親切だった』(著:アダニーヤ・シブリー、訳:田波亜央江)
(次週へつづく)
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