(前週よりのつづき)
富樫さんの「思て通らな(うむてぃかよらな)通信、150号」は、長い長い辺野古などの沖縄の闘いを続けてこられた中での「体調」のことなども書かれています。そのままを引用して紹介させていただきます。
冒頭部分で、ご自身の体調や座り込み、仲間の死去のことに関連されて、「彼らは中島みゆきが歌う『地上の星』と思えるのだが。何処へ行ったのだろうか。」と、書かれておられます。
「思て通らな通信 150号」
最近、救急車で病院に運ばれ、医者から脳梗塞があると言われた。処置が早かったので良かったとも付け加えられた。それ以後、死というものが身近に感じるようになったし、座り込み仲間の死去の報を受け取るアンテナ、感度が鋭くなった。彼らは中島みゆきが歌う「地上の星」と思えるのだが。何処へ行ったのだろうか。
沖縄の村落に伝わる神歌(ウムイ)では、仲間の神女がなくなれば、
月のばんた(崖)、
てだ(太陽)の崖(ばんた)を越え給いて
大勢の神人(かみんちゅ)に拝まれながら
赤馬、黒馬に召し乘られて
板門、金門に召し入られ
(*注)
と、歌って見送る。死去した神女は金の門がある場所に行くのである。今は、その場所を極楽と言うが、古くはニライカナイと言ったであろう。久高島では「ニルヤリューチェ」、「ハナヤリューチェ」と歌っている。「ニルヤ」とは「にらい」、「ハナヤ」とは「カナヤ」で「カナイ」のこと「リューチェ」とは分からないが、青い海の中にある竜宮を語源にした言葉であろうか。つまり「ニルヤ・ハナヤ」は海の彼方、青の世界である。
昨年11月23日、那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場(那覇市)で行われた「沖縄を再び戦場にさせない、軍備増強に反対する大規模集会」は場所が「奥武山陸上競技場」で開催されたが、「奥武山」の文字を県外からの参加者はどう読んだのだろうか。たぶん「おくたけやま」と読んだと思うが。地元では「おうのやま」または「おおのやま」と読む。
なぜそう読めるのか。奥は「おう」と読める。奥州(おうしゅ、おおしゅう)の事例がある。武はどうだろうか。武蔵(むさし)の例があり、武は「む」と読めるが、「ん」まではどうだろうか。沖縄では喜屋武(きゃん)のように「ん」に武を充てているので奥武を「おおん」、「おうん」とまでは読める。更に「山ん婆(やまんば)」のもとは「山の婆(やまのばあ)」に由来するとなれば、「の」は「ん」に変化し、逆に「ん」が元に戻って「の」となっても違和感はない。したがって「奥武山」が「おおんやま」や「おおのやま」と読むことが出来る。
ところで、奥武山の「奥武」と名づけられた地名は、沖縄では他にもある。南城市にある奥武島(おおじま)や、久米島の畳石がある奥武島、屋我地島の奥武島、慶良間諸島の無人小島群である奥武島などである。これら奥武の地名が着くところは集落から海、川に隔てながらも集落のすぐ近くである。あの県民集会の会場であった奥武山も以前は国場川の中州にあった。川と言っても大河ではないので集落からは、すぐそこにある。
伝承も加味して考えると、奥武が付く場所は風葬として扱われる死者を安置した場所であろう。しかし、奥武島、奥武山は集落からほんの少しの距離ではあるが、観念の内では遠い所にある。ティダ(太陽)の光が消える果て、月の光が消える果てにある。
(次週につづく)
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