前週よりのつづき)
その程度に止まっているにもかかわらず、どんな意味でも「廃炉」などとは言えないに等しいにもかかわらず、既に計上されている廃炉費用は8兆円です。
東電福島の重大事故は、それが原子力発電所の核燃料が熔融する事故であるが故に大量の、そして処理不能の放射能汚染物質を発生させることになりました。更に、それが処理不能であるが故に、「貯蔵」し続けるよりなくなりました。その扱いについて、最終的には「最終処分場」と言われたりしていますが、何しろ「処分不能」ですから、もし、最終の場所があり得たとしても、そこは「最終貯蔵所」になります。もちろん、そんな場所が簡単に得られませんから、発生した、2000万トンとも言われる汚染物質の置き場所は、「中間貯蔵施設」と呼ばれることになりました。それとて、簡単に得られませんから、いわば「消去法」のようにして、事故の東電福島に隣接する、双葉・大熊に決まってしまいました。
その費用が、1.6兆円です。
何しろ、「中間」でしたから、場所、土地を借り上げるはずでしたが、買い取ることになりそれらを含め、途方もない金額になってしまった、1.6兆円です。
「除染4兆円」は、降り注いだ放射性物質、及びその線量からすれば、人が日常生活をするのにはふさわしくない、避難するよりない場合であっても、「除染」することによって、可能であるとされた、「除染」及びそれに関連する費用です。たとえば、子どもたちのこれ以上の被曝を避けることを求めて提起された「集団疎開」の裁判の、福島地裁郡山支部の周辺の民間の軒下や、幼児施設の門扉の周辺の放射線量は、当時1m㏜/hを超えていました。そんな時にそれらの場所で実施されたのが「除染」です。言葉の意味はとっても簡単です。「…放射性物質で汚染された土地・設備や衣服などからその放射性物質を取り除くこと」です。ただ、簡単でないのは、その「取り除くこと」のどの段階であっても、たとえばその作業にあたる人(多くの場合は手作業)の被曝が避けられませんから、その対策が必要になります。たとえば衣服、作業道具などが汚染されますから、その都度の処分、処分の場合も、一般の「ゴミ」として扱えませんから、隔離保管が必要になり、そうして、隔離保管された大量の汚染物質が、一時保管されたあと前述の「中間貯蔵施設」に運び込まれることになります。「取り除く」ことが終りになるのではなく、もう一つの始まり、いいえ終わりのない始まりになるのが、放射性物質であり、言うところの「除染」なのです。
そうした費用が4兆円になってしまうのは、どんな「境界」も超え、時には「風まかせ」で広い範囲に降り注ぐことになったのが、放射性物質であり、東電福島の事故の後の「除染」だからです。もちろん、一回の「除染」で終りにはならないのですが、多くは「除染」を実施したという「実績」でそれを終りにし、避難の解除、避難している人たちの帰還が決められて行くことになります。
飯舘村では、「除染」で帰還・再開の為に幼・小・中の敷地は、それはそれは丁寧に削り取られ、施設は手作業で隅々まで拭われますが、敷地からほんの10歩くらいの「除染」されていない森の放射線量は、1.5m㏜/hだったりします。森に囲まれたというより、森そのものである村の、森の除染はそもそも不可能であるにもかかわらず、汚染された森の中での、幼・小・中などの再開が決まって行きます。
「除染」されたことを理由に。
「補償7.9兆円」も、その使われ方は多岐になります。避難指示が出され、避難したそのことへの補償も実施されます。「避難指示」は、それまでの生活・生活手段を失うことを意味しますから、補償されてこそ可能になります。しかし、東電福島の事故の場合、その状況・様子はすべてにおいて特別です。
たとえば「避難」ですから、その指示があっても、「解除」され「戻る」ということがあってはじめて避難です。更に、その判断、理解も一通りではないのが、東電福島の事故です。避難の理由である、被曝についても、事故まで、そして事故後も、いくつかの理解に分かれていました。そもそもが、「被曝」経験から得られる統一した理解、判断を共有できないのが放射性物質による被曝だからです。 (次週へつづく)
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