前週よりのつづき)
ただ、こうして「準備作業」であったり、その「初歩的ミス」であったりするのは、その現場が、そもそも「普通」ではないからです。
作業は、「…格納容器貫通部と外部をつなぐ『隔離弁』の奥に装置を入れるための準備作業」でした。そこが「隔離弁」だったり、その準備作業であったりするのは、すべてを、超高濃度の放射性物質が、「普通」の作業を拒むからです。言われている格納容器及び圧力容器には、事故から13年経った今も、超高濃度の放射性物質で充満している場所です。一般的な意味での事故の準備作業の一切が難しく、拒む場所です。
たとえば、「『押し込み用パイプ』と呼ばれる1.5メートルの円筒状の機器」を「格納容器貫通部と外部をつなぐ『隔離弁』の奥に装置を入れる」にしても、作業にあたる人たちの被曝は避けられませんから、その対策も万全でなくてはならなくなります。ただの準備作業ではないのは当然です。
準備作業とは言うものの、いわば“おっかなびっくり”でやっている、一発勝負の準備作業が、この場合の作業だったのです。やっていて「一本目を接続しようとした時、順番に並んでないことに気付いた」とありますが、たぶん“おっかなびっくり”ながら1本目は押し込んでいますから、「ちょっと引き抜いて入れかえる」ことのできないのは、その現場が超高濃度の放射性物質との境界線の場所だからです。
事故から13年、デブリ取り出しを、事故対策が可能で、事故対策の完結だとするこの対策は、ほぼ何一つ成し得ないまま、言葉だけが先行し続けて「初歩的なミス」で、「取り出し中断」になっています。
こうして「初歩的なミス」で「取り出し中断」になってしまったデブリの取り出しですが、どんな意味でも「初歩的なミス」でないのは、あってはならない重大事故が起こってしまった東電福島の重大事故の現場であるからです。原子力発電所の稼働は、放射性物質を完全に閉じ込めることが前提であるという意味で、どんなミスも許されませんすべてに置いて完全であることが求められる現場に「初歩」はあり得ません。環境中に放射性物質の排出は許されないし、その除染・除去なども不可能であるからです。
「不可能」であるにもかかわらず、原子力発電所が稼働した結果生まれてくるのが処理不能の「使用済核燃料」です。「使用済」と言っても、高濃度の放射性物質を含み、かつ発生し続ける、燃料はそのままどこかで保管し続けるか、「再処理」するかが、原子力発電所の稼働の条件となってきました。
その後者を担うのが、1993年に着工した青森県六ケ所うらで建設中の「使用済燃料再処理・廃炉推進機構」の再処理工場です。この事業は、いわゆる「再処理」と、再処理した燃料を使用する、「高速増殖炉」の、2つの事業が両輪で成り立つことになっていましたが、増殖炉の方は早々と破綻して、再処理工場の方も稼働が難しいままになっています。
その稼働不能の再処理工場の事業費が、「初の15兆円台」になっています。
「六ヶ所村で建設中の再処理工場の総事業費が着工から30年余り、未完成のまま初めて15兆円を超え、約15兆1千億円になるとの試算を公表した」(6月22日、福島民報)。
除去はできませんが、だからと言って何かの処理が必要で、その為に生み出された「アイデア」が再処理・再処理工場です。もちろん、再処理された使用済核燃料は、どうであれ「再利用」をされることが必要ですから、その為に生み出された「アイデア」が、高速増殖炉でした。これは稼働することによって生まれた使用済燃料を、再処理を繰り返して使い続けるとされる「夢の技術」として想定されましたが、何しろ、とんでもない高濃度の放射性物質を扱うことになりますから、結果から言えば、完全を求められる技術及び施設は破綻し、文字通り夢に終わらざるを得なくなっているのが現状です。
(次週につづく)
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