*東電福島の報告は、一旦、お休みさせていただき、イスラエル・ガザについて報告します。(東電福島については、次週より再開します)
2023年10月17日の「ハマスの攻撃」、その「反撃」としてのイスラエルによるパレスチナ・ガザの容赦ない攻撃、その惨状については、その断片を「ガザ日記」が余すところなく伝えています。その数少ない情報が「この狂気はいつ終わるのかーラファ暴力と排除の歴史」(セラジ・アッシ、雑誌「地平」2024年8月号)です。
西宮公同教会が、少ないなりに、継続して支援をしてきた「アハリー・アラブ病院を支援する会」の8月23日付けNo.45のニュース・レターが届いています。それは、「2024年7月5日に、アハリー・アラブ病院はイスラエル軍によって、突然、閉鎖を命じられました」という内容のものでした。そこには、それにもかかわらず、病院の活動を維持しようとする人たちも、追われた人たちの惨状について、「アハリー・アラブ病院を支援する会共同代表」の藤田 進さんの報告「ガザの生存を支えるアハリー・アラブ病院」も掲載されています。
以下、いくつかを紹介します。
6月26日昼頃シュジャーイーヤ地区に突如イスラエル軍戦車群が突入して来ると、無差別砲撃を開始した。住宅が崩れ落ち死傷者が続出、パニック状態となった住民たちが泣き叫び、さらに逃げまどう住民たちを空中を飛び回るドローンがミサイルで殺した。路上には死体、ちぎれた遺体の部位が散乱していたが、人々はイスラエル軍がいるときに遺体の片付けや埋葬ができず、放置された遺体は腐敗して、野犬に食い荒らされる恐ろしい光景が広がった。イスラエル軍はある地区を包囲すると、一軒一軒家宅捜査して人々を暴力的・屈辱的な方法で尋問し、臆せず逮捕し射殺した。その後にビラをまき、スピーカーで住民に「南に避難せよ」と命じる。しかし住民は「イスラエルの戦車とブルドーザーが空からの援護を受けながら前進を始め、大勢の人々がイスラエル軍の襲撃と砲撃のなかを避難している。子どもたちが殺され、負傷者も多数出ている」、「逃れても行きつくのは死の苦しみだ」との声を挙げるばかりだった。先のパレスチナ人家族もまさにそのような状況のなかに置かれていたのである。
アハリー・アラブ病院はガザの一角に位置し、イスラエルの軍事破戒にも、撤退要求の圧力にも屈せず人々の生命の安全に尽くし、避難場所を提供し続ける、そのアハリー・アラブ病院の重要性ははかり知れない。7月8日、一旦はイスラエルの軍事的圧力に押されつつも、医療活動の再開を実現したばかりか、院外に臨時クリニックの開設にもつなげて医療崩壊と病のるつほと化したゲットー状況のパレスチナ住民医療に踏み出したことの意味は決定的に大きい。全世界で高まるイスラエルのパレスチナ占領とガザ・ジェノサイド戦争に反対し、パレスチナ人の自主独立再構築を支援する民衆行動との連携強化をこの日本でも拡大していく一翼となって「アハリー・アラブ病院を支える会」も動いていくことを願っていきたい。
(ふじたすすむ/東京外国語大学名誉教授/アラブ近現代史)
イスラエルによる、パレスチナ・ガザへの攻撃から11カ月、改めて、「アハリー・アラブ病院を支援する会」の働きへの協力をお願いします。
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