(前週よりのつづき)
勝っちゃんの漁をささえるのは、多様性豊かな、やんばるの海です。光が差し込む浅い海域には、サンゴ礁に守られて、青や黄色のたくさんの小さな魚たちが泳ぎ、イソギンチャクの茂みにはカクレクマノミもいます。少し大きな赤や黄色の魚たちは、群れになって漂うように泳いでいます。岬近くの岩にはたくさんのイセエビが、一匹に一つずつ巣穴を構え、海底には、岩の色にまぎれるようにしながら、子供の頭ほどもある夜光貝がゴロ、ゴロと鎮座しています。
勝っちゃんは、1944年10月4日生まれ、生まれて6日後が、沖縄戦の最初の大規模空襲、10・10空襲でした。県民の4人に一人が亡くなった沖縄戦をゼロ歳で生き延びました。
沖縄戦を生き延びた人たちのことを沖縄では「艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぇーぬくさー)」を言います。「艦砲射撃の喰い残し」と言う意味です。勝っちゃんもその一人です。逃げ込んだガマで日本兵に「子どもを黙らせろ(殺せ)」と言われた勝っちゃんの両親は、勝っちゃんを抱いてガマを出て米軍の捕虜となり、生き延びました。
戦後、焼け野原となった沖縄で、人々は自らの力で生き延びるしかありませんでした。陸のものは全て焼かれ、土地も畑も、米軍基地にとられていました。食べるものは海のものしかありません。漁師、勝っちゃんの原点です。米兵相手のタクシー運転手、米軍基地の物資を盗み出す「戦果アギヤー」などをしながら生きてきました。
米軍の占領下の沖縄では、6歳の少女が米兵に殺された由美子ちゃん事件(1955年)、宮森小学校米軍機墜落事件(1956年)、コザ暴動(1970年)、辺野古新基地建設(2004年~)など、さまざまな事件、事故が起きます。それらは全て、勝っちゃん自身の体験でもありました。
作品は、勝っちゃんの人生と重ね合わせて、戦後の沖縄を描きます。
どんな時代も勝っちゃんの人生を支えてきたのは、海でした。優れた漁師の豊かな海の世界、「海」そのものもまた、この作品の主人公と言えるでしょう。
[バックナンバーを表示する]