(前週よりのつづき)
東電福島の事故から、およそ5000日、「第一原発で初となる」、事故対策の一歩とされる、溶融燃料・デブリを回収しています。「東電は30日(2024年10月30日)、パイプ型の採取装置で少量のデブリをつかんだと発表した」(31日、福島民報)。「回収デブリ」は11月12日に、茨城県大洗町の大洗原子力工学研究所に輸送されています。「…東電によると、採取したデブリは大きさ5ミリ程度で重量は0.7グラム。ステンレス製の輸送容器(直径約60センチ、高さ70センチ、重さ約1トン)に入れ、運搬用トラックに積み込んだ。容器の内側は放射線を遮蔽する目的で、鉛で覆われている」。その「放射線」については、「毎時、0.7ミリシーベルトと確認し、作業員の被曝線量を抑えられるとする基準『毎時24ミリシーベルト』以下」。
という事故からおよそ5000日の「第一歩」なのですが、「避難者はピーク時の16万人と比べて、大幅に減ったとはいえ、8月1日時点で、2万5798人」「双葉、大熊、浪江の3町の大部分はいまだ避難指示が続く『帰還困難区域』のまま。同区域は南相馬市、富岡町、葛尾村、飯舘村の一部にも残り、住民が返れない場所が広く存在している」、そして廃炉は遅々として進まず、事故から5000日、「11月には事故後初めて2号機からデブリの採取に成功したが、その量はわずか0.7グラム。1~3号機に計880トンあるとされるデブリ取り出しのめどは立っておらず、51年までに廃炉を完了させるとの国と東電の計画を疑問視する声が高まっている」。(11月16日、福島民報)
地元の新聞(11月16日、福島民報)が、「第一原発事故からあす5000日」で、「避難者依然2万5700人超」「残る帰還困難、廃炉進まず」とし、全国紙(11月8日、朝日新聞)が、克明に報告する、「デブリ初の取り出し」とする、東電福島の「廃炉工程」は、そのデブリの取り出しは、それにもかかわらず「51年までに廃炉を完了させるとの国と東電の計画を疑問視する声が高まっている」のは、たとえば「成功」したとするデブリの取り出しそのものが、その事実、現実が疑問視というより、そもそ
もが難しいことを示しています。
2号機からデブリの採取に「成功」したとされるデブリは「0.7グラム」です。1~3号機には、計880トンのデブリがあると「推定」される分の、0.7グラムです。
東電福島の事故からおよそ5000日、今も事故の3つの原子炉から、排出・漏れ出している超高濃度の汚染水およそ毎日100トンの元になっているのが、溶融した燃料デブリです。その重量はおよそ880トンです。
その880トンのデブリうちの0.7グラムを取り出すまでの道程が言われているところの5000日で、それは東電福島の事故の対策の終了・廃炉の始めの一歩として、評価されたりしています。
そして東電福島の事故対策で使われてきたとされる費用およそ23.4兆円のうち およそ8兆円が廃炉の為の費用とされています。「…事故に伴う除染や賠償、廃炉などの費用の最初の見積額は、23.4兆円に上る。このうち8兆円が廃炉にかかる費用」(11月8日、朝日新聞)。言ってみれば、0.7グラムのデブリを取り出すのに、8兆円もかかったということになります。
ただ、必ずしも「8兆円もかかった」と言いにくいのは、たとえ0.7グラムであったとしても、並の相手ではないのは、それを「分析」の為に日本原子力研究開発機構(JAEA、大洗原子力工学研究所)に輸送する手段の物々しさです。「…東電によると、採取したデブリは大きさ5ミリ程度で、重量約0.7グラム。ステンレス製の輸送容器(直径約60センチ、高さ約70センチ、重さ約1トン)に入れ、運搬用トラックに積み込んだ。容器の内側は放射線を遮蔽(しゃへい)する目的で鉛で覆われている」。
それが、880トンだったりすると、どんなことになるのだろう。
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