(前週よりのつづき)
原子力災害に便乗した資本主義は、被害者たちの故郷を、違う人が住む違う街に変え、再び原子力の植民地としようとしているように見える。これが、ナオミ・クラインの「ショックドクトリン」というものなのかと、はじめて実感した。
福島の中には、原発事故はもう終わり、避難者はもういない、未来に向けて新しい産業で新しい福島を夢見て、力を合せて復興にまい進しようという空気が、いつの間にか作られ、充満している。被害者は絶望することすら許されない。各省庁や自治体が広告代理店に発注した、人びとの心理に入り込んでいく巧妙な宣伝が功を奏し、被災者は口をつぐみ諦め、現実から目をそらす。若い人々には特に念入りに放射能の安全神話と、被害は「風評」だという事、偏った科学絶対主義が刷り込まれる。これらは、被害者の切り捨てや放射線防護の基準や意識を大幅に緩めること、被ばく労働に対する抵抗感をなくすこと、事故の責任を曖昧にすること、広告代理店を含めた原子力関連企業に莫大な利益を許し、原子力の復権と支配を招くことに繋がっていると感じる。多額の税金を使ってこのようなことが行われていることに激しく憤りを感じる。
原発事故後、少しは日本の社会が変わるのではないかという私の幻想は見事に打ち砕かれた。マンハッタン計画に端を発した人類の核の利用は、圧倒的力のためには、多少の犠牲ははばからない、という犠牲と差別の思想が脈々と息づいている。それが、今の福島を形づくっている。
福島原発事故からわずか12年、GX脱炭素電源法のもとに、国や電力会社は何としても再稼働を進めようとしている。原子力規制委員会は原子力災害対策指針の見直しせず、原発の40年超えの運転を許可し、経産省は原発の増設までエネルギー基本計画にいれようとしている。これは人間の愚かとしか言いようのない行為であり、未来に対する途方もなく無責任な暴力だ。
今、世界中で地震や火山の噴火が頻発し、戦争による原発への攻撃も、現実味を帯びている。せめて、すべての原発を止め、あらゆる生き物の住処であるこの地球の破壊を少しでも食い止めることが、私たちが今すぐやらなければならないことではないだろうか。
武藤類子
福島県三春町在住。チェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加、1988年に仲間とともに福島で「脱原発福島ネットワーク」を結成。東京電力福島第一原発事故の翌年、2012年に福島原発告訴団団長となり、東京電力旧経営陣の刑事告訴に踏み切る。
著書紹介
「福島からあなたへ」「10年後の福島からあなたへ」「どんぐりの森から」など
類子さんより「若い人たちも行動を起こしてくれている。数ある原発訴訟の中でも小さな勝利があったりする。がっかりすることも多いけれど、少しずつでも、やはり人は進化していくと思うんです。変わるのは時間がかかる。小さい努力を積み重ねながら、諦めず、地道に訴えていくしかないですね。みんなでね」
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