(前週よりのつづき)
ヤマト・首相の「所信表明演説」では、「…在日米軍施設・区域の自衛隊による共同使用を進めるとともに、駐留に伴う諸問題の解決にも取り組みます」とあって、そのことの基本について「日米安保体制は、わが国の外交・安全保障政策の基本です。しかし、同時に、米国も、在日米軍施設・区域の存在から、戦略上大きな利益を得ています」とあるように、問題は、日米安保体制・日米安保条約なのです。
その日米安保条約は、たとえば第3条で「…締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互扶助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」とあり、かつ「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するよう行動することを宣言する」とあるのですから、優先されるのは、「基地負担の軽減」ではあり得ないのです。
その基地負担が、当該基地、及びその内部に止まらないことも、日米安保条約に基づく「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基く施設及び区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」、いわゆる「地位協定」で、日本国内どこであっても、基地負担にほぼ「制限」「制約」はあり得ないのです。ですから、沖縄に基地が存在する限り「基地負担」の軽減はあり得ないことになります。
そんな日米安保条約、地位協定ですから、米兵によって繰り返される、基地外での事故・事件は、起こり続けることがあって、無くなることはあり得ないのです。
「…日本国は、合衆国が合衆国軍隊の構成員及び軍属ならびにそれらの家族に対し発給した運転許可証若しくは運転免許証又は軍の運転免許証を、運転者試験又は手数料を課さないで、有効なものとして承認する」(日米安保条約第6条、地位協定、第10条、第1項)。
そうした、日本における「沖縄の状況」「位置付け」は、ほぼ無条件ですべてにおいて、日米安保(地位協定)などの制約の中に置かれることになります。
たとえば、名護市辺野古で沖縄の人たちの意思、たとえば地方自治の精神の基づく申し立ても踏みにじって、工事が強行される新米軍基地建設も、そのことで沖縄の人たち、沖縄県による「異議申し立て」も、それがすべて「門前払い」になるのも、日米安保条約による、この国のありようが前提となっているからです。
(次週につづく)
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