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2006年08月01週
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 父親の入居している介護施設の“夕涼み会”に参加しました。父は全く歩けない訳ではないが移動は車椅子を使っています。1月の雪の中での事故と、その時の入院から後は紙おむつのお世話になっています。聞き取りにくくなったのは、10年以上前からです。身の回りのことができることが条件のこの介護施設に入居出来ているのは、ヘルパーさんと“家政婦”さんの助けがあってのことです。これらの手配は、近くに住んでいながら、同居が難しい兄がしています。


 夕涼み会が始まるまでに、1時間ほどあったので、父と久しぶりに囲碁をすることになりました。アマチュアとはいえ3段の父に対して、全くのシロウトに近いので、以前は“9目”おいて勝負をしていました。この日は、“6目”おくことにしたのですが、ほぼ互角に近い結果になりました。半年も経たないうちに、気がというか集中力がずいぶんおとろえたように見えました。


 整った元気な文字の便りを、こまめに書く父は、返事を書かない息子に、返信用ハガキを同封してきたこともありました。聞き取りにくくなって筆談を交えて会話をするようになって久しいのですが、今は書くこともあまりしたくないようです。


 夕涼み会が始まる頃になると、入居している人たちの家族が集まってきました。そうして集まってきた家族と夕涼み会の会場に出る入居者もいれば、屋内のテーブルに残る入居者もいました。というか、自分だけ屋内に残る入居者がずいぶん多いようでした。


 夕涼み会の会場に連れ出した父は、その日の囲碁の時がそうであったように、固い表情で車イスに座っていました。やき鳥を2本食べ、スイカを一切れ食べ、かき氷を食べる頃には、父の表情は少しほころんでいました。父は歌うことが好きでした。たとえば、富山県八尾(やつお)の民謡“越中おわらぶし”のさわりの部分を少し歌えたりするのは、父が歌っていたのを聞いていたからです。夕涼み会で、その“越中おわらぶし”が始まって、手拍子をすると、父も手拍子を始め、聞こえないなりにその歌であることに気付き、口ずさむようにしていました。その人の身近な人の、さり気ない動きが父の中に眠っていたものを呼び起こしている、その時の父の様子を見ながら、そんなことを感じていました。


 「・・・全人口の中で占める老人の比率をいちじるしく高めています。現代の社会・文化の急速な変化の中で、それら老人の生活を医学的にも、精神的にもどう位置付けるか、また老人自身が、自己の存在意義をどう見出してゆくかが大きい社会問題となっている・・・」
(「発達心理学入門」岡本夏木・浜田寿美男、岩波書店)

身体の動きがままならなくて、紙おむつなどの世話になり、言葉の世界からも遠く、家族とのつながりもうまく行かなくなった時、老人であるところの人は自分の“存在意義”をどう見出してゆけるのだろうか。3月、5月、7月には2回、ほんの短い時間ですが、父には会っています。筆談の文字を書く気力も急速に弱っていく状態でしたが、7月29日の夕涼み会では、顔をほころばせたり、口ずさんだりする様子を見ることができました。身近な人が集まって、さり気ない時の流れの中で、すいかを食べたり、民謡を聞いて手拍子を打つとき、人は思わず顔をほころばせたり、それを口ずさんだりしてしまうのです。それが、そのまま“存在意義”と言い得るものではないのでしょうがその時の父は存在感のあるいい顔をしていました。


 父は、介護施設及び施設の職員さん、身の回りの世話をするヘルパーさんや家政婦さんなどたくさんの人たちの世話になって生きています。世話になって生きさせてもらっているのだと思います。けれども、29日のようにひさしぶりに顔をほころばせたり、口ずさんだりする様子を見る時、さり気なくそこにいる家族の存在は、父のような老人にとって、何よりも必要なように思えました。

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