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2025年05月01週
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(前週よりのつづき)
 この「私たちのやるべきことは終わらない、東電刑事裁判で明らかになった事実とともに」「武藤類子」の文章で、「明らかになった事実」が「2022年6月17日、福島原発事故に関わる四つの民事損害賠償裁判で、最高裁第二小法廷は国の責任を否定する判決を出した。第二小法廷には私たちが『回避』を求めた草野裁判官もいた。裁判長は菅野博之氏で、判決の直後に退官し、その後、巨大ローファーム『長島・大野・常松法律事務所』に天下りした」「そこは東電株式代表訴訟の東電側代理人を務める弁護士を抱える事務所だ」であり、「…最高裁の決定分の中で、地震調査研究推進本部が2002年に出した長期評価には大津波が襲来する『現実的可能性』は認められないため、予見可能性が無い旨を述べている」、しかし、長期評価の作成に携わった地震学者の島崎邦彦さんの「…現在の科学では地震や津波がいつ来るかという具体的な予知はできず常に備えなければならないこと」そして、「仲間たちは、できることは何でもしようと知恵を絞り」、「福島地検、東京検察審査会、東京地裁、東京高裁、最高裁へと通いつづけ」、「裁判所の傍聴では、厳しい身体検査など、まるで犯罪者のような扱いを受け、傷ついた」などが静かに言及されています。
 最高裁の判決文の中の「…大津波が襲来する『決定的な可能性』は認められない」「予見可能性が無い」は、東電・国などによって、事故当初から繰り返し「想定外」とされてきました。
 ここには、「何が起こるかわからないのが自然であり、私たちはいつだってそこで生きている」という、逆に言えば自然の豊かさ、その自然の営みの豊かさを生きる人間についての洞察が完全に抜け落ちています。「2022年3月11日の東日本大震災のとき、東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故を多くの人が『想定外』という言葉を使いました。そのとき違和感を覚えたことも、ついこの間のようです。『思いがけないことは起きるものであり、想定外という言葉はおごりの気持ち以外のなにものでもない』と技術者である友人に語った」、だから、「自然はいつだって思いがけないものであり」「何が起こるかわからないのが自然」なのです。(「宮沢賢治で生命誌を読む」、中村桂子コレクション、いのち愛づる生命誌、藤原書店)。
 中村桂子の「宮沢賢治で生命誌を読む」は「賢治が語る自然の中にあるさまざまな物語に耳を傾け、新しい生き方を探るのは楽しい挑戦になることでしょう」と、「…すべての人が本当の幸せを感じる社会をつくる」こと、そんな自然への「畏敬」で貫かれています。
 武藤類子さんの「…裁判での刑事責任の追及は終わったが、私たちのやるべきことは終わらない」の「終わらない」は、東電の事故前もそうであったように「自然の中にあるさまざまな物語に耳を傾け、生きものであることを意識しながら」「生き方を探る」「楽しい挑戦」はどんな意味でも終わることはないはずです。
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