1939年 ポオランドに
むごたらしい いくさがあった
・5月25日 「限定的な物資ガザ混沌、再開のパン屋向うトラック略奪」
・5月26日 「医師宅空爆、子ども9人死亡、ガザ病院、医療従事者被害相次ぐ」
・5月27日 「『ガザの75%制圧』計画、イスラエル軍3地域に住民移動」
・5月28日 「ガザ攻撃『正当化できぬ』独主相異例のイスラエル批判」「死者5万4000人超える、米主導の配給始まる」
・5月30日 「『ガザ最悪の人道危機』UNRWA事務局長」「倉庫に殺到4人死亡、ガザ食料求め数百人」
・5月31日 「米の60日停戦案、イスラエル同意、ハマス対応焦点」
・6月1日 「米提示の60日停戦案、ハマス受け入れ慎重」
・6月2日 「ハマス修正求める、停戦後イスラエル、米が批判」「配給所近くで攻撃、31人死亡」「ヨルダン川西岸、かつてない移動制限、遮断機300万カ所超、検問所の検査に半日、イスラエル軍『治安確保のため』」
・6月3日 「恒久停戦を求め、ハマス交渉要求、米国案に声明」
「訪日中の国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)トップのフィリップ・ラザリーニ事務局長が28日、朝日新聞との単独会見に応じた」「ラザリーニ氏は、『学校、病院、礼拝所、国連施設などが際限なく攻撃され、あらゆるレッドラインを越えている。人々は強制的に移動を強いられ、少しでも安全な場所を見つけることもできない』と説明。『イスラエルは不処罰で、国際人道法の妥当性はどこにあるのか』と憤りを示した」「イスラエルが3月からガザへの人道支援物資の搬入を止めたことで、国連が届ける予定だった食料はガザとの境界で腐敗したという。27日には米国が主導する財団がガザ南部の2カ所で配給所の運営を始めたが、物資を求める人が殺到し、イスラエル軍が発砲して死者が出た。ラザリーニ氏は『配給所で何キロも歩けない人を疎外する非人道的なシステムだ。(UNRWAなど国連主導の支援は)約400の配給所があり、困っている人に届くモデルだった』と批判した」。
パレスチナ・ガザは、2023年10月7日の、ハマス戦闘員によるイスラエルへの攻撃、その後のイスラエルによるパレスチナ・ガザへの攻撃(空爆、イスラエル軍の侵入など)以前から、失業率が60%を超え、経済的に破綻していました。
パレスチナ・ガザは、「分離壁」で完全に包囲され、イスラエル国内で得られていた仕事、生計の手段が奪われていた。
そもそも、「分離壁」は、パレスチナ・ガザ野果樹栽培などの収穫物の域外への搬出を困難にしていた。
それが、60%を超える失業率の現実であり、結果、食料の自給の為の手段そのものを奪われ失っていたのがパレスチナ・ガザ。
そのパレスチナ・ガザの人たちがそこで生き、生き延びるための中でも食料は、「国連パレスチナ難民救済事業機関による主としてガザとエジプト国境からの支援搬入『人道支援物資』」に依存していた。
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