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2006年08月03週
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 公同幼稚園の子どもたちと、氷見市上庄(かみしょう)の祭りの獅子舞を見ました。太鼓、鉦(かね)、たて笛に合わせ、獅子(獅子頭役と胴役の6人)と天狗が演じる獅子舞です。上庄まつりの獅子舞には、たくさんの人が集まります。主催者によると、11回目になるこの祭に、毎年1000~1500人の人が集まって応援するのだそうです。15~20キロの重さの獅子頭を振り回して演じるのは重労働です。演技の始まる前の“口上”を青年団の団長が述べ、登場した獅子と天狗が演じ始めると、10~15人くらいの青年たちが、それを取り囲むようにしてはやしたてて盛り上げます。1000人を越える人たちが集まって盛り上がるのですが、上庄まつりの獅子舞を誰よりも盛り上げているのは村の青年たちです。上庄まつりには、6つの村の獅子舞が参加していて、それぞれ20~25人くらいの青年によって構成されていました。


 この日の特別出演は、能登半島に伝わる御陣垂太鼓でした。御陣垂太鼓は太鼓をたたくだけですが、上庄まつりの青年たちの獅子舞の演技とは迫力が違っていました。仕掛けは太鼓だけ、そして連打するだけなのに、怨念のような何かでたたき出された響きには、人の心の奥底をえぐる力がありました。迫力はともかく上庄まつりの青年たちの獅子舞に、人の生きるかたちを目のあたりにしていることを感じていました。


「・・・ひろく生きるかたちを文化と考える」

「・・・文化は人間の手による自然の改変だと考えられてきました。たしかにそう言ってよい側面もあります。しかし視点を変えれば、自然によって与えられた条件のもとで、さまざまに生きるかたちを模索し、生み出してきた、それが文化だという言い方も出来ます」
と書いていたのは浜田寿美男さんです。(「ありのままを生きる」岩波書店)。


 上庄まつりの獅子舞は、伝統文化・芸能としてこの国の北から南まで広く演じられてきました。それは、多くの場合、村の青年たち、青年団によって担われてきました。子どもたちとの沖縄キャンプで、沖縄の旧盆に家々を回るエイサー隊に出くわしました。名護市為又のエイサー隊で、演じていたのは為又青年会の青年たちです。たまたま出くわしたそのエイサー隊の青年の身のこなし方や表情から、それを演じる青年たちだけがそこにいるように見えました。上庄まつりの獅子舞とそれを取り囲む青年たちは、はしゃいでいるように見えなくはありませんでしたが、演技ではないところは名護市為又のエイサー隊の青年たちと、どこか通じるところがありました。


 公同幼稚園の子どもたちは、氷見市上庄の上庄まつりで、獅子舞の迫力に少しばかり驚いたり怖そうにもしました。ただ、そうして驚いたり怖そうにしたのは、獅子頭や天狗の面などではなく、何よりも躍動する青年たちの姿であったようです。浜田さんの言葉を借りれば、そこで繰り広げられていたのは、いわば“人の(青年たちの)生きるかたち”です。その時に、その場所で、たまたま繰り広げられていた、青年たちの生きるかたちに子どもたちは驚いたり怖そうにしていたのです。8月15日夕方5時から始まった獅子舞の祭りに、子どもたちが付きあったのは午後8時までのおよそ3時間でした。ブルーシートを敷いたテント張りの席だったとは言え、主催者が遠来のお客様の為特別に用意した、それはそれで特別の席でした。けれども全く座り心地が良いという訳ではない特別の席で、子どもたちが座り続けたのは、青年たちの生きるかたちが獅子舞となって繰り広げられて、子どもたちを惹きつけたからだと思っています。3時間の長丁場を、子どもたちは全く退屈しなかったという訳ではありません。しかし、そこに子どもたちが座り続けたのは、青年たちの獅子舞が、その青年たちからほとばしる生きるかたちが、子どもたちに届いていたからだとその時も思い今も思っています。

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