その「既に制圧」の事実が、どんなものであるのかに言及しているのが「ガザ殲滅/イスラエル建国以来の宿題と戦争犯罪」(早尾貴紀、地平社)です。「軍事攻撃による直接的な殺害だけで6万人以上となっており、さらに倒壊した建造物の瓦礫の下やイスラエル軍が処刑後に集団埋葬した地中に何人の死者がいるか分からない状況だ」「2024年7月にイギリスの医学誌『ランセット』に『37396人の死者について、直接死一人につき間接死4人という控え目な推定を当てはめれば、現在のガザ紛争に起因する死者は186000人、或いはそれ以上と見積もっても不自然ではない』(「ガザ殲滅/イスラエル建国以来の宿題と戦争犯罪」早尾貴紀、地平社、2025.7)。
たまたま書棚をながめていて目にとまったのが、ブレヒトの「子供の十字軍」(著:ベルトルト・ブレヒト、画:山村昌明、訳:矢川澄子/マガジンハウス、1992年)です。
1939年 ポオランドに
むごたらしいいくさがあった。
多くの町や村々が
いちめん荒野原になった。
で始まる、ブレヒトの詩です。
ブレヒトの詩の「1939年 ポオランドに むごたらしいいくさがあった」の「いくさ」は、当時同盟関係にあった、ヒトラーのドイツとソ連軍が東西から侵攻し、首都ワルシャワが陥落、ポーランド軍を壊滅させました。その後に広がる光景が「多くの町や村々が いちめん荒野原になった」は、第二次世界大戦の始まりと、それがもたらした光景を語っています。妹は兄を 妻は夫を
軍隊のためうばわれた。
劫火と瓦礫の街角で
子供は親にはぐれた。
この「子供は親にはぐれた」の子どもたちのことが「…子供ばかりの十字軍が、ポオランドからくるそうな」という「うわさ」になったこと、その「子供ばかりの十字軍」の末路までを描くのが、ブレヒトの「子供の十字軍」です。
「劫火と瓦礫の街角」は、「1939年 ポオランドに むごたらしいいくさがあった」の「むごたらしいいくさ」は、およそ90年後のパレスチナ・ガザを「劫火と瓦礫の街角」にし、むごたらしくそして容赦なく人々を殺戮するいくさです。
「現在のガザ紛争に起因する死者は186000人、或いはそれ以上と見積もっても不自然ではない」。
ポオランドのナチス・ドイツによる「いくさ」の、たとえば「子供の十字軍」は、以下のような結末をもって閉じられます。
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