創世記の描いている家族の様子はそこそこ複雑です。アブラハムの最初の子どもは、妻サラの“つかえめ”ハガルの産んだイシュマエルです。子どもが産まれなかったサラがそのことを望んだことになっているのですが、後にサラがイサクを産むことになって、ハガルやイシュマエルの影はうすくなります。アブラハムにはサラの死後妻に迎えたケトラが子どもを6人産んでいます。アブラハムとサラの子どもイサクがリベカを妻にして産まれたがエサウとヤコブです。この兄弟の“相続”をめぐるやり取りのことが創世記にあれこれ詳しく書かれています。兄弟は“相続権”のことではきわどいところまでいってしまいます。が、リベカの機転でなんとか事なきを得てます。事なきを得なかったのは、アダムとエバの子どもカインとアベルです。兄カインは、主(なる神)が「・・・(弟)アベルとその供え物を顧みられた。しかし、カインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って」弟を殺してしまいます。その程度でカインがアベルを殺してしまうは、動機としては弱いように思えるのですが、そんな風にして人の生き死にの事実があって、物語も生まれたのにちがいありません。
3人兄弟の3番目に産まれました(兄と間に姉)。産まれ育った田舎では、弟は“おっちゃん”、兄は“あんちゃん”と呼ばれていました。小さい頃の記憶では、その田舎で兄弟の扱いでは何かと“差”というか“序列”がありました。服などが“おさがり”であったのはともかく、食卓に食べ物が並べられる順序、おふろに入ったりするのも順序がありました。生活の中での順序のことは、そんなに気にはなりませんでした。それが、結婚をしてからは、兄と弟の扱いは露骨に違うようになってきました。たとえば、父母と兄の家族は同じ家族であっても、弟の家族は“その他”の扱いになってしまいます。孫の場合も、兄の子どもたちは“うち(内?)の孫“で、弟の子どもたちとは明らかに扱いが違っていました。既に、そこには住んでいないしその社会での責任の取り方の違いが扱いの違いになったのかも知れません。
今でこそ少し様子は変わりましたが、母方の祖母が死んだ時のお葬式では、父母と兄の家族が一体で“焼香”に呼ばれ、弟の家族のことはすっかり忘れられてしまったりもしました。祖母のことは小さい頃から好きでした。中学生の頃は、一人暮らしだった祖母のところにたまに立ち寄ると、明るく“くにあきちゃん、ようきたな!”と、明るく迎えてくれた言葉が今でも耳に残っています。遠く離れることになってしまいましたが、機会を見つけては一人暮らしの祖母を訪ねました。生きているうちに、祖母との出会いを大切にしてきたつもりなので、死んだ時もそんなに悔いはありませんでした。ですから、葬式の時に“身内”がたくさん集ったのには少なからず驚いてしまいました。
親子・兄弟が家族という営みをし、それが受け継がれていく時に、人の思惑がからみ時にはどろどろしたものになります。「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」、更にその皇位の順序は「1,皇長子、2,皇長孫、3,その他の皇長子の子孫、4,皇次子及びその子孫・・・」となっています。“普通”だったら、“4”まではなかなか回ってこないことになっています。ですから、同じ皇子でも長子と次子ではその扱いにずいぶんと差があります。現在の皇長子と皇次子の場合だと、お邸の広さが、長子は5460?、次子は1417?なのだそうです。たとえば、今の次子は皇位で言えば“4”ですから、扱いは軽くその子孫の“皇族費”として1年間に準備されるのは305万円だそうです。長子と次子ではこうも扱いが違うのです。今、“普通”ではないことが起こり始めていて、余り関心のなかった事が、こんな具合に少しずつ関心を集めています。さらに少しずつ関心を集めているのは、たまたま兄と弟であるだけで、扱いがうんと違うあたりの“利害”のことです。“納得できない”とか“ムッとしている”とか“ガマンしている”とかのことがないはずはないなどと。
ヤコブとエソウの相続をめぐる争いは、賢明な母の働きで衝突は回避しました。兄と弟は、生活している場所が離れていることもあって“まあいいか”と思っています。
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