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2006年10月01週
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 聖書(たとえば旧約聖書)は、そこにいる人に強い関心を持って向かいあう神を描いています。「・・・またわたし(主なる神)は、永遠にあなたとちぎりを結ぶ。すなわち正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもってちぎりを結ぶ。わたしは真実をもって、あなたとちぎりを結ぶ。そしてあなたは主(なる神)を知るであろう」(ホセア書2章19、20節)。ただ強い関心を持って向かいあうのではなく、“正義”“公平”“いつくしみ”“あわれみ”“真実”などのことを繰り返し求めるのも聖書の神です。そして、これらのことは、特に為政者に求められています。新しくこの国の首相になった人の所信やその周辺の人たちの発する言葉には、正義、公平、いつくしみ、あわれみ、真実などのことは顧みられているのだろうかな。
 

たとえば金融相になった人は、“賃金業の規制強化”を結果的には骨抜きにする法案を準備するにあたって「自民案は、(灰色金利を否定した)最高裁判決の趣旨を反映し、業者に厳しい純資産の参入制限を設けている。」、「一切例外を設けるなという主張は分かりやすいが、現実には金利が下がって審査基準が厳しくなると借りられない人が出てくる。ヤミ金融に追い込むことにならないよう、そういう人の声なき声も聴かないといけない」などと言っています。(2006年9月29日、朝日新聞)。普通に銀行に預金した時の金利が0.1%にも満たなくて、その銀行が融資している貸金業の金利の“例外”が28%であってもおかしくないのだそうです。たぶん、金融相になった人は、自分ではそんな金利の賃金業からお金を借りたりはしません。借りるのは、最後には“ヤミ金融に追い込まれたりする人”たちです。ヤミ金融より28%はましだとしたりするのは、政治をする人の口にすべき言葉ではありません。政治がするべきなのは、普通に銀行に預金した時の金利の0.1%に満たない状況と、その銀行が28%の金利の貸金業に融資し、更に10%を超える金利の賃金業を自らもしている不公平に“それはないだろう”と口にすることです。


 たとえば、新しい首相の所信表明には、“教育再生”のことが述べられています。「家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます」「・・・まず、教育基本法案の早期成立を期す」などと。もし、これらのことが本気で言われているのだとすれば、まず政治は、普通に銀行に預金した時の金利が0.1%にも満たなくて、その同じ銀行が10%を超える金利の賃金業をしてこの国の“家族、地域”のおびただしい人間関係を壊してしまい、“貧しい人間性”に追いこんでしまっている現実こそ見つめなくてはならないはずです。ここで言うところの“教育基本法案”と現行教育基本法との著しい違いは、日本国憲法が変えられることが前提になっていることです。“教育基本法案”は、日本国憲法ではなく、単に“憲法”とのみ言っています。前文及び9条の日本国憲法ではなく、そこに込められた戦争と戦争の惨禍を生きてしまったことへの深い思いがすべて消し去られた、全く別の“憲法”が前提になっています。だとしたら、まずその日本国憲法について、徹底した議論をすることから始めるべきなのに、憲法の議論を先送りし、 “教育基本法案の早期成立を期し」て、似て非なる教育基本法を作ってしまうやり口はフェアーではないのです。姑息に政治手段を弄することで、たとえば教育基本法を変えることが、“美しい国”などと言う人のすることだろうか。


 たとえば、所信では「・・・イラクにおいて陸上自衛隊が一人の犠牲者も出すことなく人道復興支援活動を遂行したことは、歴史に残る偉業」だったと誇っています。しかし、そのイラクの戦争で米兵の死者が2,500人を越え、イラク人の死者は50,000人を越えるとも言われ、その数は今も増え続けています。このイラク戦争が何よりも悲惨なのは、民族・宗教間の対立抗争を煽る結果になっていることです。たとえば米国はこのイラク戦争でフセイン政権を倒すためにクルド人を利用しました。イラク内の少数民族であるクルド人は、隣国のトルコでも少数民族として弾圧されてきました。そのクルド人が隣国のイラクで米国の力を後だてに少なからず力を持つということは、イラク、トルコ、クルド人の関係をより難しくするし、結果的に米国はクルド人を守ったりはしないはずです。イラク戦争で米国はイラク内の一方の宗教勢力と手を組んでしまいました。結果、イラク戦争が宗教間の戦争になり、同じイラク人同士が殺しあうことになってしまいました。そうして生まれた憎悪は新たな憎悪になり、夥しいイラクの人たちの血が流され続けています。なのに、そんな米国のイラク戦争の一端を担っていることが“歴史に残る偉業”なのだそうです。“自衛隊が一人の犠牲者も出さなかった”ことを自慢しています。自衛隊の若者を一人でも殺させてはならないのはもちろんのことです。恥ずべきなのは、汚れきった米国のイラク戦争の一端を担うことでこの国を汚し、なお“美しい国”などと言えてしまえることです。


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