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2006年10月05週
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 10月24日~26日に開催された、第35階日本基督教団総会の議案36号の提案理由の中に「・・・伊藤瑞男議員(1998年の第30回総会期当時)より、『ホモセクシュアルなどビヘイビアをおもちの方が受験されると聞き及んでいる』が『簡単に承知しないでいただきたい』との発言がなされた」などのことが書かれていました。


 そんな8年前の発言のことを“名指”で批判されるのは“人権の侵害だ”という議場からの発言に拍手する人もいました。内容を語るのを意図的に避け、手続きのことで問題をはぐらかすのはよくあるやり方です。もちろん、誰の場合のどんな場合であっても、人権を脅かすのはあってはならないことです。たとえ誰かを“・・・ホモセクシュアルなどビヘイビアをお持ちの方”を“・・・簡単に承知しないでいただきたい”などの言葉で、その人の人権を踏みにじる場合であっても。だからといって、人権が薄っぺらく扱われてもいいという訳ではありません。問われているのは、8年前の発言とその発言のままの8年を生きている人の「思考なし。想像力なし。責任なし。つつしみなし。表現の工夫もなし。・・・(「文芸時評という感想」、荒川洋治、木魂社)などのことです。


 たとえば日本国憲法で、人権のことが言及されているのは「第1条 国民は、すべての基本的人権の享受を妨げられない・・・」「第13条 すべての国民は、個人として尊重される・・・」などです。「『基本的人権の享受を妨げられない』とは、憲法は、すべての国民が人間たることにもとずいて、国家以前において、『基本的人権』を享受する原理を承認し、これを承認する方針であることを意味する」「『個人として尊重される』とは、個人主義の原理を表明したものである。・・・個人主義とは、人間社会における価値の根元が個人にあるとし、なににもまさって個人を尊重しようとする原理をいう。ここで個人とは、人間一般とか人間性とかいう抽象的な人間ではなく、具体的に生きた一人一人の人間をいう。」(「全訂日本国憲法」、宮澤俊義、日本評論社)。


 誰の場合のどんな場合であっても、人権を脅かすのはあってはならないことです。たとえ誰かを“・・・ホモセクシュアルの・・・簡単に承知しないでいただきたい”などの言葉で、その人の人権を踏みにじる場合であっても。日本国憲法は人権を、薄っぺらく、ただ重々しく言及したりはしていません。“すべて国民は、人間たることにもとずいて”において、人間というもののすべてを思考し、想像し、責任をもって、つつしみ深く、表現を工夫して見つめ、なおそれでも足りないことが自覚されて書かれているのが日本国憲法です。“・・・具体的に生きた一人一人の人間をいう”においても、人間というもののすべてを思考し、想像し、責任をもって、つつしみ深く、表現を工夫して見つめ、なおそれでも足りないことが自覚されて書かれているのが日本国憲法です。


 誰かの人権をおびやかした当人にも、人権があると主張するのは全く誤りという訳ではありません。だからといって波風をたてておいて、しかし波風を嫌う、ないしは波風を押さえ込む側に回ってしまうのは、およそフェアーとは言えません。論争を仕掛け、波風をたてる時“人権をおびやかされた”などと反撃されたとしてもあり得ることです。なのに、こっちにも人権があると居直るとすれば、そんなことに口出しする資格がないだけのことです。“ホモセクシュアルは、教師(教会の牧師)として認めるな”と迫って、迫ったこと相応の反撃があった時、自ら迫ったことへの内実を徹底的に自分に問い、言葉で返すよりないだけのことです。なのに、迫ったことの内実は何一つ語らず、反撃されることが人権侵害だと言ったりすることで、その事を問う問いが貧しいだけのことです。


 自分にしかない営みで生きている人のことが少なからず目障りで、許せないとも思い、口にしてしまったことで問われるのは、それを口にしたその人です。“すべて国民が人間たることにもとずいて”生きている時、誰もその“人間たること”を脅かしてはいけないのです。“・・・象徴的な人間ではなくて、具体的な一人一人の人間をいう”ことで生きている時、誰も“具体的な一人一人”を脅かしてはいけないのです。


 「だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。・・・」(ローマ人への手紙2章1、2節)。
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