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2006年12月01週
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2006年11月26日に開催された、兵庫教区臨時総会に提案した“建議”です。


議  案

“教育再生会議”に対し“いじめ対策の緊急提言”の撤回を求めると同時に以下のことを提言する。
1,  “いじめ対策の緊急提言”の柱として示されているものは、およそ教育再生とは程遠い内容でありその撤回を求める。

2, いわゆる“いじめ”が起こってしまっている教育現場の荒廃の事実を悲しみ、その事実を真摯に受けとめ何よりも子どもたちが生きていることの事実及びその尊厳と向かいあう教育を作り出す。

3, いわゆる“いじめ”が起こっている教育現場の、当事者である子どもたち及び教師たちをさらしものにする外部からの介入や報道などをつつしむ。

4, いわゆる“いじめ”は、教育現場に対する外部からの介入が、当事者である子どもたち及び教師たちの生きたつながりを奪ったその結果起こっている。教育は、言葉も人も信頼するに足ることを子どもたちや教師たちが共に分かちあうところから始まる。その、本来あるべき教育を当事者であり主体である子どもたちや教師たちにゆだねる。


提案理由

 “教育再生会議”は、今週中に以下の?~?を柱とする“いじめ対策の緊急提言”を出すことが報道されています(2006年11月26日、朝日新聞)。

「?いじめに加担したか、故意に見過ごした教員への懲戒制度を現在より幅広く適用する」について。

 いわゆる“いじめ”を、“いじめに加担したか、故意に見過ごした教員”の問題にしてしまうのは、この事実の理解としては誤っています。いわゆる“いじめ”に、たとえば教師が“加担”ないし“見過ごす”などのようなことがあるとすれば、教育現場そのものがそこまで追いつめられている、ないし貧しくなってしまっていることの結果です。外部からの介入で教育現場が疲弊してしまっている事実を、教師個人の働きの問題だけにしてしまうのは、問題のすりかえ以外のなにものでもありません。


「?いじめた側の子どもの出席停止を積極的に行う」について。

 いわゆる“いじめ”の子どもたちの出席停止は、そもそも教育の放棄以外のなにものでもありません。もし、いくばくかでも、子どもたちの生きた生活、生きた言葉に接するないしは耳を傾けることがあるとすれば、子どもたちの大半が、いわゆる“いじめ”の近くに居てしまわざるを得ないことを知っているはずです。事はそんなに簡単なことではないし、誰かを教育現場から閉め出すことで解決することでもありません。教育という営みは、その教育現場で起こっていることのすべてを事実として受けとめる覚悟と行動においてしかありえないのです。


「?問題が起きた学校を支援するチームの派遣の仕組みをつくる」について。

 今回のいわゆる“いじめ”の状況から、問題が起きない学校は皆無のはずです。“対策”としての支援チームの派遣では間に合わないだろうところがこの問題の本当の深刻さです。いわゆる“いじめ”が起こってしまう学校現場の構造こそが問い直されるべきです。子どもたちと教師たち、そして地域の人たちの力も借りながら、いっぱいの“夢”を実現して行く教育現場の再生こそが語られるべきです。



突走ると言われます
突走らないとは言いません

道ばたのすみれは
踏まないつもりです
誰かが見ていても
涙を止められないことがあります
それを教えてくれた人が
いたからです

風のささやきが
耳に届いています
明日がやってくるなら
くやしさを忘れられます
それを教えてくれた人が
いたからです

かたつむりが歩くのを
見続けたことがあります
あの人の手の平が
暖かかったのを覚えています
それを教えてくれた人が
いたからです

突っ走ると言われます
突っ走らないとは言いません

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