クリスマスを前にして、今年も街の催しを、街の人たちと一緒にしながら過ごしてきました。23日の午前中は恒例になっている、教会・幼稚園の地元である南昭和町自治会のもちつきを手伝いました。道具類は幼稚園のものをトラックで運んで行って使います。もち米を蒸すのにはマキストーブを使っています。1995年の地震の時、北海道滝川の宮島利光先生の紹介で手に入れることになったマキストーブで、今は3代目くらいです。燃料はマキですが、火力も効率もよくて、順調に蒸し上がります。南昭和町では、9時過ぎにストーブのマキに火がつき、45分頃からつき始め、2つのうすを使って、11時15分頃に30キロのもちをつき終えました。うすでつくもちつきは、人手がいっぱいいります。マキストーブを使ったりすると、更に人手が必要になります。公同教会のスタッフが程良いかげんでストーブの担当をしました。もちつきは、つき手の力が重要なように見えますが、かえし手の手加減でもちが変わってしまうくらい重要です。蒸し具合で、“さし水”を加減したり、全体がもち状になるよう、まんべんなく返して行かなくてはなりません。もち米を冷やさないよう、できるだけ速くつき上げるよう仕向けて行くほど、もちの仕上がりはかえし手の力量次第です。街の自治会などの仕事を引き受けているのは、比較的高齢の人たちが多く、もちをつくのも、もちを返すのも、そもそももちつきという仕掛けをするのも簡単ではないからです。そんな訳でもちつきを手伝っていますが、23日の南昭和町自治会のもちつきでは、幼稚園の先生たちも活躍しました。
昨年から、23日にはもう一ヵ所のもちつきも手伝っています。すぐ近くの兵庫県立芸術文化センター前の高松公園のもちつきです。主催は西北活性化連絡協議会(にしきた商店街、アクタ西宮振興会、兵庫県立芸術文化センター)です。南昭和町からすべての道具をトラックで高松公園まで運び、1時前にはつき始めていました。トラックいっぱいのもちつきの道具を移動させて、すばやくもちがついてしまえるのは、強力なスタッフの力があってのことです。高松公園のもちつきには、幼稚園の子どもたちのお母さんやお父さん約30人がもちつきに加わりました。こんな人たちの力があって4時前には50キロのもちをつき終えていました。蒸す、つく、そして列の絶えないお客さんに3種類のもちを配り続けるチームワークは、見事と言うよりありません。たぶん、その事の見事さは、自発的にそこに参加していることの力のように思えます。たとえば不特定多数の人が相手で、皿を1000枚、ハシを1000本用意しましたが、途中で足らなくなってしまいました。そんな時の判断が良く、適切に補充されるのです。必ずしも自分の為ではないもちつきの集まりに、自ら買って出てスタッフを引き受けた人たちの力で、公園のその場所の清掃、そして道具の片づけがほんとうに短い時間で終わってしまいます。
23日には同時進行で、広範囲な街の人たちが参加するコンサートも準備されていました。街の人たちが1000個のランタンを作って、高松公園に持ち寄って灯し、その明かりに照らされながら、歌ったり演奏を聴いたりするクリスマスのコンサートです。そうして準備してきたことはもちろんですが、お客さんが帰ってしまった後の会場で、午後9時近くになっても会場の仕掛けを街の人たちと協議会の人たちと芸文センターや西宮市の職員が一緒に取り組んでいました。たぶん、たいしたことをしているのではないと思います。しかし、ただ仕事ではなく、強いられたのでもなく、それぞれが少なからず自発的に準備してきて、少しずつ言葉を交わし合いながら最後の片づけをしているのでした。たぶん、たいしたことをしているのではないと思っています。しかし、全く悪い街ではないことを誇れるように思ってそこを後にしました。
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