2007年1月17日に、兵庫県南部大地震で亡くなった子どもたちを追悼する小さな集まりを準備しています。(別に、亡くなった子どもたちを追悼・記憶する“記念碑”の準備をしています。西宮公同教会の“兵庫県南部大地震犠牲者追悼記念礼拝”は1月14日の予定です)。
そんなことを準備していて、訪ねてきたY新聞のM記者に、子どもの死のことについて“根掘り葉掘り”聞かれることになりました。それはそれで、子どもたちのこと、子どもたちの死のことについて、考えてきたことを整理する機会になりました。子どもたちの死と、他の場合とその死において差違がある訳ではありません。失われてしまうということでは、いずれの死も全く同じです。届く限りの生を生き抜いた高齢者の死も、それで全く良かったということはあり得ません。死によって失われるものはどんな理解も越えて大きいのです。ですから、子どもたちの死が特別に無残で悲しいなどとは言えません。そうなのですが、子どもたちのこと、そして子どもたちの死についていくばくかの考察は必要なように思われます。
たとえば子どもたちを“未成年”と定義したのは大人の社会です。大人、即ち自分たちは完成した人間という理解があって、未だ完成に至らないものたちが未成年です。こうした、大人による子どもの理解はそんなに間違っている訳ではありません。その未成年の、18歳以下の子どもたち514人を追悼してきたのが、大地震子ども追悼コンサートであり、同時に進められてきた子どもたちの“記録”でした。
で、子どもたちの死なのですが、育てている大人(親)にとって、育つことを手助けしている存在を失うことを意味します。大いに手助けしている存在を、大いに手助けをしている真最中に失うのですから、その痛手はうんと大きいことになります。
大いなる手助けなしには生きられないのが子どもたちです。だから、言うところの未成年が不完全な人ということにはなりません。じゃなくって、大いなる手助けを引き寄せることで一つの人格であるのが、子どもというものらしいのです。子どもたちの死は、そんな意味で大いなる助け手(の役割を引き受ける人)の痛手になります。その身を削るようにして。
幼い子どもたちに出会った時、全くの初対面なのに、思わず表情をやわらげたり声をかけたりなどのことをしてしまいます。そうして人を変えてしまうのは、未完な存在である子どもたちの、あなどってはならない力そのものなのです。完成した人はそのことにおいて自立して存在し得るとしても、いきいきとした人間の関係がそこで生まれるとは限りません。未完な存在であるけれどもあなどれない、そんな子どもの時代を生きて人は大人になります。もし、そのように生きてきたのであるとすれば、子どもたちの死を、うんと悼むことがあったとしてもあり得ることです。
これらのことは、大地震の時だけではなく、今も失われ続けている子どもたちの生命の場合も同じこととして理解しています。
兵庫県南部大地震からおよそ12年が経とうとして、子どもたちの死を悼むことの意味を、そこまでつなげて理解したいと願っています。
去年 僕たちが
こぶしの花を 見たのは
一万の 綿毛が
こぶしの蕾を 守ったからです
今年 僕たちが
こぶしの花を 見るのは
一万の 綿毛が
こぶしの蕾を 守るからです
来年 僕たちが
こぶしの花を 見つけるのは
一万の 綿毛が
こぶしの蕾を 守ろうとするからです
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