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2007年01月01週
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 1月4日、富山県氷見市のケアハウスに父を訪ねました。年末から気になっていて、すぐ近くに兄がいることから少なからずぐずぐずしていたのを、後押しすることになったのは、「・・・2006年は病室の父の首を絞めそこなって明け、病室の母の首を絞めそこなって暮れた・・・恩を忘れられたら、むしろ関係性は良好になる・・・」など、萩野アンナのすさまじい文章を読んでのことです。(「文学界」2007年1月号)。昨年10月以来ほぼ3ヶ月ぶりの父は、訪ねた時ベッドに横になっていて、息子が声をかけても起き上がる様子はありませんでした(もっとも、ずいぶん前から聞き取るのが難しくて日常会話は“筆談”で補うことが多かった)。ただ、今度の場合は気力そのものがなえている様子で、手をかりてベッドで起き上がったもののうつむいたままで、息子の顔を見ても、例の“ニャッ”とした笑いも声を出す様子もありませんでした。


 ケアハウスは、ほぼ身の回りの事が自分でできる人たちの施設です。紙おむつが必要になった父は、介護ヘルパーとは別に、知人のOさんに特別の世話をお願いすることで入居させてもらっています。しかし、3ヶ月ぶりに訪ねた父は、それでも間に合わない状態になっているようでした。たとえば、紙おむつの交換は、介護ヘルパーによる一日3回では間に合わなくて、Oさんが更に1、2回交換しています。夕食前のその1回を“手伝う”ことになりました。10月には、“恥ずかしいから”と息子を部屋の外に出させてOさんと2人で交換していたのに、文句なく手伝わせてくれたのです。なんとかベッドから下りて立ちあがり、ズボン(トレーナー)を脱がせてもらい、足先を切って短くした下着を脱がせてもらい、おむつカバーを外してもらい、2重につけていた紙おむつ、横になった時にもれてしまうということで別につけていた長方形の紙おむつを外そうとした時に、ちょうど尿がもれ始めました。大あわてで紙おむつを戻し、更にタオルで押さえたりするのはOさん一人の手には余ってしまいます。おむつ取り替え中の便の場合はもっと大変で、Oさんによれば“汚れる”ことを覚悟で、毎回一人汗にもまみれているとのことでした。というか、“この人が好きだから、できるんですよ”とおっしゃっていました。


 おむつの交換が終わった後、父とOさんと3人で部屋で食事をすることになりました。マーケットまでタクシーで往復して弁当を買ってくると、Oさんの手で食堂から給食が運ばれていました。ちょうど夕食時だったのに、その食事を自分から進んで食べるという様子ではありませんでした。10月には、父の指示でにぎり寿司を取り寄せてOさんと義兄の4人で食べたのですが、その時は1人前に余る分をたいらげていました。食事はいつだって、規則正しく、好き嫌いなしで食べる人だったのです。結局、用意された食事の4分の1くらいを食べて、その日の夕食は終わることになりました。


 かつて、手紙を書かない学生をしている息子に、宛名を書き込んだ返信用のハガキを同封した、骨太の文字の手紙を届けてくれる父でした。筆談になっても、骨太の文字は変わりませんでした。昨年1月に雪の事故で入院することになってから、筆談の文字が心なしか小さくなり、3月に娘(姉)が急死してからは、文章が短くなり文字が更に小さくなりました。1月4日には筆談の文字をながめ少なからずはうなずくものの自分は書こうとはしませんでした。10月には恥ずかしいからと見せなかったおむつの交換を、1月4日には手伝わせてくれました。好き嫌いはないし、食事をすることも規則正しかったのに、1月4日には手伝ってもらっても食べ残しました。父は1905年(大正4年)の生まれで、今年11月9日には92才になるはずです。昨年1月の雪の事故の時までは、4年前に母が死んだ後の自宅で一人で自力で生活していました。雪の事故の数日前に訪ねた翌日、ごはんは自分で炊き、息子の作ったみそ汁と簡単なおかずを一緒に食べた後、帰っていく息子を玄関まで見送ってくれました。それから1年、ほぼ誰かの力を借りることなしには生活できなくなりました。何時か何処かで自力で生きることを止めにしてしまって、そのようになって。生きることと死ぬことが等しくなって人は死んで行くのかも知れません。教師をしていた父が待ち続けた“生存者叙勲”で勲章をもらったのは3年余り前の88才の時でした。勲章はもちろん、何一つ持てないで人は死んで行きます。

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