幼稚園のぽっぽ組の子どもたちと、関学まで歩き、学生会館の食堂でうどんを食べました。70人を越える大所帯ですから、途中まで3グループに分かれて歩くことになりました。合流地点の“梅畑”まで、そのうちの1グループの子どもたちと歩いたのですが、実はそのうちの一部だけバスに乗りました。仕事の為に寄り道をする必要があって、その分だけ合流地点の合流時間に、間に合いそうになかったからです。その“仕事”は、ホームセンターで、ロープ、バッテリー、キーを買い求めることと、手作りの笛に使う竹を切らせてもらうことでした。で、“寄り道”なのですが、子どもたちにとって特別のことではありません。公同幼稚園の子どもたちが、幼稚園の外に出てどこかに出かけたりする場合、いろいろ必ず“寄り道”をしています。寄り道で時間をつぶしているのではなく、いっぱいの発見があって、そこに立ち去り難い結果起こってしまうのが、公同幼稚園の子どもたちの“寄り道”です。ですから、ホームセンターも、笛の竹を切らせてもらうのに付き合うのも、いつもの“寄り道”の範囲内ではあるのです。
この日3グループに分かれて出発した子どもたちが落ち合うことになっていたのは、上ヶ原南小学校の北の“梅畑”でした。個人が、市街地の中の“生産緑地”として“梅林”を持っているという具合なのです。梅畑は出入りに制限がなくて、およそ60~70本の白・桃の梅の花がこの時期になると咲きます。昨年の今ごろは、ほんの少し咲き始めていたのに、今年の梅はいい香りで咲いて散り始めていました。梅畑の隣りの小学校は休憩時間で、フェンスによじ登ったりして遊んでいた、祐太君と久しぶりに声をかわすことになりました。満開の梅の花の下を歩き、関学の方に抜ける為に用水路の土手を子どもたちが歩き始める頃、すぐ近くの畑で作業をしていたおじさんとおばさんとその息子らしい青年が、仕事の手を休め、シートに座り込んで、そんな子どもたちの様子をずっとながめていました。今時のこんな時期に70人余りの幼児が、梅畑や田んぼの土手を歩いたりしているのを見かけたりすることはめったにいなくて、それがうれしくてずっとながめているという様子でした。
そうして抜けた、関学第2グラウンドの南側の田んぼの持ち主と、ふとしたことで知り合うことになりました。そして“いつでも、遠慮無く通ってもいいですよ”とおっしゃっていただきました。実は、今までもこの場所は許可無しでなんとか見つかってしまわないように、通り過ぎていました。それで、“晴々”“どうどう”と、通っていいことになったのです。
このあたりまで来れば、目指す“関学のうどん”の学生会館の食堂までもうすぐです。そこまでは、関学のいくつかのグラウンドと地元の人の畑が隣接している間が細い道になっています。そんな場所で、3人連れの学生に出会いました。3人は“通り過ぎるまで、オレらがよけとこうか”とつぶやいて、道に面した溝の反対側の移り、子どもたちが通り過ぎるのを待ち続けました。
関学の敷地に入る手前の“よろず屋”さんで、昨年は店先にあった麩菓子を買いました。ほぼ1年ぶりの“よろずや”の店先には、おなじようにそれをカゴに入れて店先に並んでいました。1年ぶりの子どもたちのことを、おじさんは覚えていて、昨年同様麩菓子をサービスしてくれました。
12時近くに着いた学生会館前の広場では、5~6人の学生がトランペットの練習をしていました。で、しばらくの時間ですが練習中の学生の前で、トランペットの演奏を楽しみました。春休みの食堂は空いていて、70人余りの子どもたちが座ってもそんなに目立たない様子でした。
子どもたちがうどんを食べていると、おじさんが2人現れて、“写真を撮らせて欲しい”とのことでした。関学にはホームページがあって、そのいくつかの項目の一つに、生協の働きを紹介するものもあって、その1ページとして、食堂で食べている子どもたちの写真を使わせて欲しいとのことでした。どの程度の写真になるのかは解りませんでした。が、“こうして、うどんでお世話になっているのですから、構いません”と答えました。
で、このホームページには“春休み中の学生食堂の使われ方の一つの紹介”ということで、子どもたちの様子を写した写真が掲載されることになるようです。
そんなに長いとは言えない道を歩いて出会った春の草花、そしてたまたま出会った人たちのことで、子どもというものがほんのささやかなのですが、“何かを起こす”力の持ち主であることを、改めて思わされたりしました。
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