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2007年03月01週
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 2006年度の、兵庫教区沖縄交流委員会による「沖縄交流の旅」は、2007年2月24日、25日に沖縄県名護市辺野古で開催されることになった、「Peace Music Festa!辺野古 ユ 07~わったー地球(しま)はわったーが守る」(以下、ミュージックフェスタ)の日程に合わせるようにして実施されることになりました。“ミュージックフェスタ”を、中心になって呼びかけたのは、ソウル・フラワー・モノノケサミットの人たちです。ソウル・フラワー・モノノケサミットは、兵庫教区教育部委員会が中心になって開催した(沖縄交流委員会は賛同団体として参加)、「『われらは、さきに、日本国憲法を確定し・・・』ソウル・フラワー・モノノケサミットライブ」(2006年10月21日開催)で歌いながら、沖縄で開催準備をしていた“ミュージックフェスタ”への参加を呼びかけていました。その呼びかけには、“ミュージックフェスタ”への参加することだけではなく、沖縄との向かい合い方、出会い方についても示唆されていました。


1, 佐喜眞美術館を訪ねて
 交流の旅の日程中、佐喜眞美術館では「ケーテ・コルヴィッツと上野誠展」及び「型染め絵本原画展~戦争と平和を考える」(沖縄県立芸大染織コース)開催のことが伝えられていました。ケーテ・コルヴィッツの作品は、「沖縄戦の図」(丸木俊・位里)と並んで、佐喜眞美術館の主要な所蔵品です。1930年代に活躍したドイツの彫刻家ケーテ・コルヴィッツは、第一次世界大戦などを題材に、戦争の不条理、死などのことを版画や彫刻にしました。戦争の悲惨と、悲惨な死の事実を描いた作品は、ヨーロッパだけでなく、アジア、日本でも紹介され、その影響で上野誠のような彫刻家も生まれてきました。戦争の島、基地の島である沖縄に、ケーテ・コルヴィッツの作品を展示する美術館が存在することには、大きな意味があります。



2, 宮城康晴さんとの出会い
 沖縄は、一つの立場・意見で代表されているのではないという、当たり前のことを交流の旅の宮城康晴さんとの出会いで教えられました。戦争の島となった後、米軍基地の島になっている沖縄の現実からは、そのことへの反対の意志でまとまるということは、当然あり得ることです。その米軍基地については“受け入れる”人から、“絶対に受け入れられない”人まで幅広い立場や意見が沖縄にはあります。たとえば、米軍基地の受け入れについては、沖縄で生活する人たちの生活をからめ取る為に、おびただしい“地域振興”の名の資金が直接・間接に注ぎ込まれています。米軍基地に反対するという“道理”は、地域振興の為の資金を拒むという“不道理”に簡単には立ち向かえなかったりするのです。たとえば、辺野古には、地区を走る国道をまたぐようにして、“国立高専”が建設されています。現に存在するキャンプ・シュワブ、そして将来そこの海を埋め立てて建設されるはずの新たな米軍基地と引き換えに“恩恵”として建設された、巨大施設なのです。
 1959年に名護市で生まれた宮城さんは、普通に幼少年時代を過ごし、沖縄の青年たちの多くがそうであるように東京で過ごした後、1992年に沖縄に帰ります。そんな宮城さんを待っていたのが、その後に取りざたされることになった、普天間基地の辺野古への移設計画でした。その、いわゆる基地問題の渦中で生きることになった、10年余りのことを、今回の交流の旅で克明に聞かせてもらうことになりました。たとえば、基地問題で真正面から闘うことになった故・岸本建男さんのことを、宮城さんは「・・・ほんとうに名護にとって大切な人だった」と言います。大切な人と闘わなければならない沖縄の現実を宮城さんは生きているということでもあるのです。(次号に続く) height=1
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