日本キリスト教団西宮公同教会・西宮公同幼稚園
教会について
礼拝・諸集会のご案内
小さな手・大きな手
公同通信
教会学校について
公同幼稚園について
どろんこと太陽
関西神学塾:スケジュール
関西神学塾:講師紹介
楽しい学習
賃貸住宅事業部とは
テナントについて
活動内容
アートガレーヂについて
催し物のご案内
リンク
アクセスマップ
お問い合せ
width=1
top>小さな手大きな手
width=639
小さな手大きな手

height=1
2007年03月02週
height=1
(前号からの続き)

3, 「Peace Music Festa!辺野古 ユ 07~わったー地球(しま)はわったーが守る」に参加して。
 “ミュージックフェスタ”は、日程の都合で、1日目の2月24日だけ参加することになりました。会場は、辺野古漁港とキャンプ・シュワブを“隔てる”鉄条網の漁港側に設営されていました。米軍基地に“ミュージックフェスタ”を対峙させるという、主催者の意志が示されているという具合なのです。巨大なキャンプ・シュワブの前で、ひとたまりもないような試みなのでしょうが、ステージで演奏する人たちはそれぞれの音楽を武器に米軍基地と対峙しているようには見えました。主催者の意図に反して、参加する人たちの数はずいぶん少なかったようです。“いいさあ!”で進んでしまうことも多い沖縄で、少なからず強い意志と決意で計画せざるを得なかった結果のずれが、沖縄の人たちの参加を得られにくかったということなのかも知れません。しかし、一歩も引かないで、沖縄との向かい合い、出会い切ろうとする主催者の意志や決意を貫いた結果のステージや演奏の多くは、了解できるし説得力のある内容だったように思えます。
 会場は米軍基地に隣接しているということもあって、約10名の米軍兵士も“入場者”として参加していました。その米軍兵士が、ステージはそっちのけで、缶ビールを飲みまくって、若い女性を“ナンパ”している様子に、主催者のスタッフは、少なからず心配していました。夕方、1日目の最後から2番目にソウル・フラワー・モノノケサミットのステージになりました。ステージは西宮の場合とも、大阪の場合とも、神戸市役所前の場合とも全く同じ、ソウル・フラワー・モノノケサミットのステージでした。沖縄だから、キャンプ・シュワブ前の辺野古のステージだから、沖縄の顔をしてみせるのではなく、関西の場合のソウル・フラワー・モノノケサミットの顔をそのままのステージ、自分たちの顔をそのまま貫いているところが、強く印象に残るステージでした。終わってから、伊丹英子さんが「関西のノリでやってしまいました」と言っていましたが、沖縄で辺野古で自分達の顔でステージを貫いて歌った、“インターナショナル”では、米軍兵士も踊りの輪に加わっていましたから、“ミュージックフェスタ”は成功していたのです。
 そして、最後に歌ったのが大城美佐子さんです。辺野古の出身で沖縄の歌の名人である大城さんは、一切のコメントなしで沖縄の歌を歌いました。沖縄にはたくさんの立場があって、時にはせめぎあうよりない状況で、沖縄の歌の名人はその歌で勝負している、ということを強く印象づけるステージでした。
 

4, 名護教会の人たちと共に
 24日~25日は名護教会の人たちにお世話になりました。24日には、大城宣実さんが工場長をしている、泡盛の酒造所、津嘉山酒造を深夜に訪れることになりました。新酒の仕込みで、温度調整に追われて疲れているにもかかわらず、沖縄の島の泡盛のことを大城さんから解り易く教えてもらうことができました。
 25日の日曜日は、今回の沖縄交流の旅に参加していた4名が名護教会の礼拝に、4名は読谷教会に出席することになりました。名護教会では礼拝の後、短い時間ですが、宮城源長さん、大城宣実さん、大城真理子さん、石川栄喜先生、石川里香さんと交流の時を持つことができました。名護教会が大切にしているのは地域との交流で、それが名護教会の“生命線”でもあると、石川先生は強調していました。生活は多様であるように、考え方や主張も多様である、沖縄の名護の街の人たちと生きて行くことは並大抵ではありません。そんな中で教会としての主張をして、更に地域に受け入れられることも試されています。
 要するに、自分の顔を持ち続けながらその地域の中で生きて行くということなのですが、まさしくそれを試されているのは、沖縄交流の旅に参加した一人一人であったように思えます。

2007年3月2日
菅澤邦明
height=1
[バックナンバーを表示する]
height=1


?????width=80

Copyright (C) 2005 koudoukyoukai All Rights Reserved.