兵庫教区の教育部委員会の部落差別問題学習会で発題をしました。教区の活動を担っているそれぞれの委員会が担当者を選んで、“部落差別問題連絡会”が構成されています。教育部委員会も総会期毎に担当者を選んでいます。部落差別問題については、連絡会の担当者を選ぶことと、毎年実施さる“狭山現地研修”の分担金も委員会で予算化します(年間25,000円)。狭山現地研修は、ここ数年希望者がなく分担金の支出だけが了解されています。
教育部から連絡会の担当者を選んだり、現地研修の分担金を予算化するにあたって、部落差別問題や狭山差別裁判のことを会議で取り上げるということはなく、担当者を選ぶことと分担金の支出を了解するだけで終わります。しかし、“差別”という深刻なことを取り扱っているはずなのに、その内容には全く触れないで、担当者や分担金の支出が了解されるのはいかにも不自然です。その都度徹底して議論するのではないにしても、問題になっているのが“差別”であるとすれば、議論が無いに等しいのはやはり不自然なのです。議論らしいこともしない、だから担当者も選ばない、分担金を支出しないと言うことにもなりません。言ったりしないことになっているのです。ということで、担当者を選ぶのも、分担金を支出するのも、決まっているからそのようにしているのです。“差別”という重大なことに深く関わるはずなのに何一つそのことが取り上げられることはなく、誰一人疑問を挟んだりすることもなく、担当者と分担金の支出だけが決まってしまうのは、不自然を通り越して頽廃であるように思えてしかたがありませんでした。
部落差別のような“差別”は、あからさまになる場合と、あからさまにはならないところでも根強く残っていて人を傷つけ続けてきました。その、あからさまになりにくい差別の部分で、キリスト教の教会はあからさまにならないように差別の一端を担い続けてきたことが指摘されてきました。事を穏便に扱うことを優先する、キリスト教会の性質から、あからさまになりにくい差別に、少なからず加担してきたのです。ですから、連絡会の担当者の選出や、現地研修の分担金の支出で、“差別”のことが全く取り上げられないということは、不自然であるだけでなくやはり頽廃ではあるのです。
そんなようなことが引っかかっていて、敢えて申し出て、部落差別問題学習会の開催と、その発題者を引き受けることになりました。出席者には事前の学習の為の資料を紹介しました。そのうちの「水平記・松本治一郎と部落解放運動の100年」(高山文彦著、新潮社)は、分厚い本ですがここ100年の部落差別及びそれと闘ってきた人たちの軌跡を理解するのには役立つ本です。部落解放同盟や主人公である松本治一郎の遺族から資料の提供を受けていますが、“美化”するということはしていません。時代の中で、その時々に、時代の潮流の影響を受け、時には翻弄されながら、被差別部落の人たちも生きてきました。そんな中で、被差別部落を解放する為の被差別部落の人たち自身によって組織された水平社運動は、その時から今に至るまで色あせることのない人が人であることの熱い思いを、“水平社宣言”として書き残しました。「・・・吾々は、かならず卑屈なる言葉を怯懦(きょうだ)なる行為によって、祖先を辱め、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いたわ)ることが何んであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである。水平社は、かくして生まれた。人の世に熱あれ、人間に光あれ」。同じ頃に歌われはじめた「水平歌」は、その当時の若者達の熱気をそのままに“過激”に歌われています。
そんな“水平社宣言”“解放歌”も改めて紹介することになった、部落差別問題学習会でしたが、西宮公同教会関係者4人を除いた参加者は7名というさみしいものでした。“頽廃していることに平気で、少しばかりの合図にも鈍感でいられる”というのは言い過ぎでしょうか。
[バックナンバーを表示する]