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2007年04月02週
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親泊朝省(おやどまりちょうせい)が「妻子を道づれ」にして自決したのは、敗戦の年1945年9月3日のことです(「自決こころの法廷」澤地久枝、NHK出版。以下親泊朝省については同著による)。親泊朝省は沖縄県大宣味村で生まれ、当時の県立第一中学校、熊本陸軍幼年学校を経て"帝国軍人"としての道を歩みます。軍人として出世した親泊朝省は当時の沖縄では"英雄"でした。中国戦線で戦火の中を生き、1942年ガダルカナル島の作戦に作戦参謀の一人として参戦し、失敗した撤収作戦で"玉砕"することになった夥しい兵士たちの中で、数少ない生き残りとして参謀本部に戻りその後の戦争を指導します。そして、敗戦から半月後に妻子を道連れにして自決します。
 親泊朝省が作戦参謀として参戦した戦場のガダルカナル島は、2007年4月2日に地震のあったソロモン諸島の島のひとつです。太平洋戦争の早い時期に、反撃に出た米軍に包囲され補給をたたれたガダルカナル島で、多くの兵士たちが戦病死、餓死していきます。結果「飢えの島」とも呼ばれることになったのがガダルカナル島で「人肉食」などの惨状もそこでは起きてしまったと言われます。「…餓島(がとう)では、人肉が、飯盒一杯、十円で売り買いされている。敵の肉か味方の肉か?まあ、それは想像に任せる…」(「桜と剣」村上兵衛)。
 太平洋戦争の戦場の惨状について、多くの場合本当の事が語られることはありませんでした。ガダルカナル島の人肉食のことも同様です。そこを生き延びた親泊朝省が、それらのことを知らなかったはずはありません。彼は直接それらのことを語ることはしていませんでしたが、敗戦から半月後に自決します。自分が全存在をかけ守ったはずのものが、全くそれに答えることをしなかった時に、自分のうちに全てを飲み込んで自決するよりありませんでした。
 沖縄戦での集団自決のことが、高校の教科で「日本軍に『集団自決』を強いられたり」が、「追いつめられて『集団自決』をした人が」に修正されることになりました(2007年3月31日、朝日新聞)。沖縄戦の惨状の中で、例えば沖縄の人たちが日本軍から手投げ弾を渡され、"自発的"に集団自決をしたのだと言いたいらしいのです。降伏ということがあり得ない軍隊で、それに取り込まれることになった沖縄戦の沖縄の人たちが、おなじように降伏ということがあり得ない状況で死ぬ為に手投げ弾を与えられたとしたら、ただ"…追い込まれた"のではなくて"強制"以外の何ものでもありません。それを、"…そういう人もいた"と、よそ事のように言ってしまえるとしたら、問われなくてはならないのは、そんなことが言えてしまう感覚です。この国の多くの人たちは、自分が太平洋戦争の惨状を生きてしまった後、そのことを語りませんでした。語らないことにしてしまったのです。従軍慰安婦のことも人肉食などのことも、当事者の口で語られることはありません。語ってしまった時に起こる何かを恐れるかのように。一人二人ではなくて、おびただしいこの国の人たちが、戦争の惨状を生きて、してはならないことをしてしまいました。戦争が敗戦に終わった後も、それをありのまま口にするということはありませんでした。多くの人が口にしない時、それを口にしてしまった時の孤立を何より恐れた結果、語らないことが暗黙の了解になりました。親泊朝省は、暗黙の了解を了解できなかった結果、妻子を道連れに自決することになりました。
 集団自決の全てが日本軍による強制ではなかったか知れません。しかし、降伏ということがあり得ない軍隊で、それに取り込まれた人たちが集団自決して行った時、それは強制ではなかったと強弁することが、自慢になるとは思えません。つい最近、若い自衛隊たちのことを「…人殺しの訓練をしている」と口にしてしまった地方自治体の長のことが話題になっていました。この場合の感覚がとんちんかんなのは、これらのことを全くよそ事として口にしてしまえることです。若者たちが、自衛隊員であることを選ぶのはこの国ではあり得ることです。そうして選ぶことを揶揄する感覚の貧しさは、集団自決が強制ではなかったと強弁するのと似ています。
 そうではなくて、悲惨な戦争に人は手を染め続けてきたこと、そこで生きてしまった事実に口を閉ざしてしまうこと、問われなくてはならないのはこのことです。だから、平和を語るのはいつどんな場合でも色あせはしないし、色あせさせてはならないのです。

川が流れ魚が泳ぎ
空では鳥たちが歌う
街は子どもたちの声であふれる
      このお話は本当にあったことだと
      いってよいでしょう

人々の戦の記憶は遠く
憎しみを断ち戦具を壊し
街の人々は平和を誇りとしている
このお話は本当にあったことだと
いってよいでしょう

家族が食卓を囲み
笑いが笑いを呼んで
街の家々には明かりが灯っている
このお話は本当にあったことだと
いってよいでしょう

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