2003年3月に始まったアメリカ合衆国によるイラク戦争は、5月に"アメリカの使命は達成された"と、ブッシュ大統領によって終結が宣言されます。その時までの米軍の死者は173人でした。そのイラク戦争が続いていて、米軍の死傷者は20000人を越えています。(2007年4月現在、米軍の死者は3300人を超え、5月12日にも、8人の米軍が爆殺されたことが伝えられています。)
そんなアメリカ合衆国の米軍と一体になって進められているのが、沖縄の米軍基地、普天間飛行場の名護市辺野古崎への移設計画です。日本国憲法(中でも憲法9条)を変えていこうとする動きも、当然のことのように進められています。しかし、そうして"戦争の出来る国"にすることが、若者たちの血を流すことになる事実は、何一つ語られることはありません。
で、"平和を恥としない"ことを、5月20日、21日に予定されている兵庫教区総会議題の為に準備しています。
(議題)
日本基督教団兵庫教区及び諸教会・伝道所の歩みを新たにする“信仰告白・私たちは平和を恥としない”制定に関する件
(提案者)
(主文)
日本基督教団兵庫教区及び諸教会・伝道所の歩みを新たにする"信仰告白・私たちは平和を恥としない"制定の為、常置委員会のもとに検討委員会を設置する。検定委員会は、“信仰告白・私たちは平和を恥としない”が求められるに到る問題の整理、それに基づいて告白文の試案を作成し、兵庫教区内の諸教会・伝道所そして常置委員会で検討を経た上で議案として次回教区総会に提案する。
(提案理由)
日本基督教団兵庫教区は1995年1月の地震から5年後に「阪神淡路大震災被災教区の震災5年目の宣教にあたっての告白」を制定しました。即ち、一つの自然災害及びその後を生きる時に、そのことで何よりも教会が神から問われている、との理解に基づいて上記の“告白”を制定することになりました。1969年に合同した沖縄キリスト教団と日本基督教団の歩みを振り返ってみる時に、何よりも問われているのは、それを“告白”として結実し得なかったことのように思われます。即ち、教会の歩みを神と隣人の前でえぐることを告白できないまま(しないまま)今日に至っていることです。結果、神と隣人の前で犯すことになった罪はそのままです。
1969年に沖縄キリスト教団と日本基督教団は合同しました。教会(教団)の合同は、異なったものが出会って新しい歩みを始める決意をその内容として持っています。この時合同した2つの教団の場合、たとえばアジア・太平洋戦争の中で、又その後にどのように生きたかは大きく異なっていました。沖縄キリスト教団は、アジア・太平洋戦争が遂行されていく過程で、沖縄であることの多く(言葉、文化、生活、政治のすべてにおいて)のものを奪われ、その戦時体制に組み込まれることになりました。悲惨な戦争は、沖縄が戦場になることによって、そこで生きる人たちに言語に絶する悲惨を強いることになりました。更に敗戦と敗戦後の沖縄は、日本とは異なる米軍支配を強いられることにもなりました。この限られた歩みの中でも、沖縄と日本、沖縄キリスト教団と日本基督教団は“被害者”と“加害者”というよりない関係を続けることになりました。被害者である教団と加害者である教団が合同するとき、その歩みの徹底した検証、それに基づく合意、場合によっては“断罪”と“赦し”などのことがあって初めて合同した教会の新たな歩みは可能になります。
今、新たに教会の告白の問題として沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同のことを取り上げようとするのは、その歩みの徹底した検証がなされなかったこと、それに基づく合意、合同ではなかったことから上記のような提案になりました。
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