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小さな手大きな手

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2007年05月03週
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 いわゆる“母の日”に合わせて、短いメッセージと“包丁研ぎ券”を配らせてもらっています。期間中の4日間でおよそ80本の包丁を研ぐ汗を流しながら、その包丁が語る家族や食卓のことに思いをめぐらせています。お母さんが子どもに殺されるということが新たに起こってしまいました。亡くなったお母さんのことを悼みます。どんな状況で、そのことが起こってしまったのか。何よりも、亡くなったお母さんのことを思い、残念でなりません。
 このことでは、特殊なケースであり、少年の精神鑑定を行なうこと、その方向でのことの処理が検討されていることを伝えられています。少年の“事件”では、より低い年齢の場合も、その責任をより厳しく問うことで、法整備などが進められてきています。そんな中で、今回の事件は少年の以前からの様子のことなどから、前述のような処理が決められていくことになるようです。
 はたしてそうなのだろうか。もし特殊なケースであったのなら、そのことに気付くべきだったし、回避することも試みられなくてはならなかったはずです。結果、無残な事態は回避し得たかもしれません。しかし、悲しい出来事は起こってしまいました。そして、このことを特殊なものとしてしまうのは、こうして起こってしまった事実から、もう一度人というものを洞察する機会を放棄することになるように思えます。起こったことは特殊であったとしても、そうして特殊であることも含めてあるのが人という生きものの営みです。特殊なケースの特殊なこととしてではなく、人として生きた人の営みとして引き受けることを避けてしまう時、このことから見えるものは何もなくなってしまいます。暗たんたる思いを残し、人への希望を根こそぎ奪う出来事であったとしても、これもまた人の営みとして見つめ歩き始めるよりないように思えます。もっと言えば、この出来事の場合にも人のこととして見つめる覚悟や勇気のようなものが試されています。自分からは遠く、特殊なこととしてしまうことで問われているのは、人として生きる覚悟や勇気です。そうでない限り、人として生きる事実を直視しない限り、全くではないにしてもことを再び起こしてはならない、回避する可能性を見極める道筋を放棄することになります。起こったことは特殊に見えたとしても、人が生きる営みの中で起こった出来事です。人による出来事であって“事件”として片付けてしまっては、いけないのです。
 このことはただ偶然起こってしまったのでもないし、このことがただ偶然回避できているということでもありません。全てが全く偶然に、何一つ手がかりがないということではなく、小さな人としての営みの一つ一つが、時にはつながったり、つながらなかったりもすることで、回避されたり回避されなかったりし、取り返しのつかないことにもなれば、何とか生き延びたりもするということにもなります。その場合の、人としての営みは、それが必ず何かを実現する力にはならないとしても、全く取るに足らないこととして終わってしまう訳でもありません。例えば、ささやかな言葉の一つ一つ、それがつながるかつながらないかで、人の心は養われもするし、養うきっかけを失うことになったりもします。
 “包丁研ぎ”のことでは、およそ80本の包丁がタオルや布巾で巻かれて届けられました。その時の“包丁研ぎ券”のすみっこに、“よろしくお願いします”の言葉が書き添えられている場合もありました。こんな時のひとことが“生死を別ける”ことにつながるとしてしまうのは考えすぎです。そんなひとことで、人は生き延びるとするのも楽観的に過ぎます。しかし、“よろしくお願いします”のひとことが、人と人とをつなぐ力に、全くならないと言い切れないのも事実です。それが人と人とをつなぐことになると信じるのは、あっていいことなのです。
 こうして起こってしまったことで、私たちが向かい合っているのは“犯人・犯罪”であると同時に、人という生きものがそこまで営みを広げてしまう事実です。そのことを人として生きる自分のこととして見つめるのには勇気が要ります。他方特殊なこととしてしまう結果、そこには人として問われることが何一つなくても平気ということになります。それがどうであれ、子どもによる母親殺しであっても、人として向かい合い、人のこととして引き受ける時、その勇気は人として生きる希望を見つけ出す、手がかりにならないはずはないと信じています。
 最後に“君”に言いたいのは、“悲しい、とても悲しい”と。      
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