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小さな手大きな手

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2007年07月03週
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 1995年の兵庫県南部大地震の時、壊れた家を解体撤去した“ガレキ”が、西宮の場合約800万トン西宮浜に運び込まれて“野焼き”されることになりました。およそ2ヶ月間にわたって野焼きのけむりが、風向きによって西宮市南部の市街を覆うことになりました。その頃大阪大学理学部の植村振作先生と会う機会があり、「…野焼きのダイオキシンなどのことは心配ですが、“結果”が出てみないと解らないし、それはずっと先のことなんです」と言われました。水俣で原因不明の病気が発生し、それが水俣湾に流された有機水銀が魚に蓄積され、その魚を食べた人たちの病気であることが解るまでに、長い時間がかかりました。たくさんの人が苦しみ、たくさんの人が死んで長い裁判の過程もあって、やっとその原因が特定されることになりました。
 有機水銀を流し続けたことの “結果”が出てしまった時に、たくさんの人たちが水俣病で苦しんで死ぬことになりました。アスベストは危ないといわれてきました。1995年の地震の時、たくさんの家が壊れ、その解体撤去の際におびただしい量のアスベスト類が、被災地では飛散したとされます。悪性胸膜(腹膜)中皮種が、そのアスベストによることが、やっと認定されることになりました。建築材料として大量のアスベストが生産され、実際に建築に使われてから長い年月が経って、中皮種で苦しんで亡くなる人たちがたくさんいて、それがアスベストによることが認定されるまでにも長い年月を要しました。“結果”が出るまで解らないし、解りようがないとされたことの“結果”、たくさんの人がアスベストで苦しんで死んでいきました。
 幼稚園の庭のプランターで、4、5月に花が咲き赤い実をつけ一仕事したはずのイチゴに、7月中旬になっても花が咲き続けています。2~3日前に、そのイチゴの実を摘んで食べました。幼稚園の畑のイチゴは、いつもだったら5月いっぱいで花が終わって実もつけなくなります。その畑のイチゴは、4月末に赤くなりはじめて、大量の赤い実をつけました。その後もずっと大量の大粒の赤い実をつけ、花を咲かせ続けました。例年、6月になると同じ畑にさつまいもの苗を植えます。ところが、イチゴの花は終わらないし、5月を過ぎて、6月になってもイチゴの赤い実が見つかりました。その結果、予定より2週間ずらして6月中旬にさつまいもの苗を植える作業をすることになりました。その作業の日にも、小さなザルに2杯分の赤いイチゴを摘みました。その畑のイチゴは、さつまいもの苗を植える準備で抜いてしまいましたが、ランナーを伸ばして苗を育てる為に5株残したイチゴには、未だに白い花が咲いています。
 幼稚園の庭の端の金網のフェンスには、毎年山芋のつるが広がります。秋になると、ムカゴが出来て、11月の公同祭りにはムカゴのおこわのパックが並びます。そのムカゴがすでに出来ていて、しかもでこぼこなのに驚いたりしています。
 教会の前を流れる津門川は、たくさんの種類のたくさんの魚が泳ぐ川です。大型の魚の代表格が鯉と鯰(なまず)です。5月になると、鯉は171号線に近い水深の浅いあたりに移動し、水面に跳び上がるようにしてじゃれあっています。“交尾”をしているのです。そうして鯉の交尾が一段落した後に、普段は日中見かけることのない鯰が出てきて、水中でおっかけっこを始めます。体をくねらせながら、相手の体に巻きつくように“交尾”をしています。そんな時たまたま鯰に追っかけられて逃げ回っている鯉がいたり、その光景がほほえましかったりするのも、津門川の魚たちです。4,5年前、そんな津門川で鯉が死んでしまいました。調べてもらった結果、その頃に琵琶湖などで流行している“鯉ヘルペス”だったことが解りました。その時は、大きな被害にならないで、鯉は生き残りました。
 9日(月曜日)朝、出張で出掛ける時、たまたまのぞいた教会前の津門川に、鯰が死んで沈んでいました。翌日には雨で流されたのか見当たりませんでしたが、別に尾が欠けたり体の一部が白くなった鯰が4、5匹弱った様子で川底にいるのが見つかりました。川を管理している、西宮市や兵庫県などに連絡してみましたが、対応はしてもらえませんでした。雨で、川の水が増えたりにごったりで解りにくいのですが、鯰の様子は相変わらずのようです。
 イチゴのことも山芋のムカゴのことも鯰のことも、ただそれだけのことなのか、何か合図だったりするのかは解りません。しかし、人が生きる現在は何かの結果であり、そして今生きていることの“結果”を人はいつか引き受けることにもなります。
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