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2007年08月03週
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取り返しのつかないことのどんな結果であっても、人は引き受けて生きるよりありません。1992年のユーゴスラヴィア解体の後、“民族浄化”という名の殺戮がほしいままにされました。1941年に始まった、アジア・太平洋戦争は、沖縄の地上戦、広島・長崎の原爆投下という取り返しのつかない結果になりました。ドイツによって始められた第2次世界大戦はその戦争の悲惨と平行して、600万人のユダヤ人を、人というものの存在を壊しつくす殺戮を行なっていました。その取り返しのつかないことを、人は今も繰り返しています。
アメリカによるイラク戦争が、最終の局面を迎えつつあります。戦争の終わりではなく、最悪の始まりという意味で。8月15日に、イラク北部モスル近郊で起こった「同時自爆テロの死者は250人を超える」と伝えられています(カイロ、田井中雅人、朝日新聞、2007年8月18日。たとえば、前記の朝日新聞のイラク戦争の記事などすべては“カイロ発”。危なくって、新聞記者がイラクには居られないんだったら、“東京発”でもそんなに変わらないだろうに)。“北部”が“自爆テロ”の場所になるということは、そこを中心にトルコ、イラクなどを居住地とする、クルド人が標的になっていることを意味します。クルド人に対する“集団虐殺”という、アメリカのイラク戦争の最悪の始まりの一つが、15日の自爆テロです。少数民族であるクルド人たちを巻き込んでアメリカのイラク戦争が始まった時から、このことは予想できたことです。イラク戦争後の"治安"を守ることは更に難しくなっています。3月に30,000人の兵力を増やして、イラクの治安を強化したはずの“駐留米軍”の治安の責任者が「車爆弾による同時自爆テロという手口から『アルカイダが最重要容疑者』」と、そのことを“強調”しています。「現場指揮官ミクソン少将は『まるでジェノサイド(集団殺害)だ』」とも(8月17日、朝日新聞)。そして「…家、建物、商店すべてが壊れていた。おぞましかった。血を流した数多くの人がいて、肉片があちこちに飛び散っていた」りするのが、イラク戦争の現場です。そこに “武器を持ってそれを使うことで参加したい”と発言している、自衛隊員のことが紹介されていました(8月14日、朝日新聞)。自衛隊員たちは、武器を手にしてそれをぶっ放す側に身を置くことは考えても、自分の肉片が飛び散って、それを拾い集めたり悲しんだりする人のいることはあんまり考えないようです。例えば、“テロの容疑者はアルカイダだ”と強調している米軍は、同じ“手口”で毎月100人を超える兵士を犠牲にしています。“殺す”ことでも“殺される”ことでも、数限りない人を傷つけるのが戦争で、加害者が被害者に、被害者が加害者になり得るのも戦争です。
62年前のパプア・ニューギニアの戦争の“朽ちた軍装”で“死体の散乱”の様子がそこで見た“遺族・弟”によって紹介されていました(2007年8月14日、朝日新聞、横山邦彦)。死んで置き去りにされた120万とも言われる日本兵のパプア・ニューギニアの場合のことです。「私達が2日間で確認したものだけで14体」、「6月はじめ56体を発見しているから、2ヶ月70体」の死んで置き去りにされた“死体”が見つかります。“遺族・弟”たちはそこを訪ねてみて、死体を見つけ出して持ち帰ることが難しかったのではなく、敗戦62年間それをしようとしなかった結果に出会います。なぜ、“皇軍兵士”たちを、それから62年間“置き去り”“放置”することになったのだろうか。“遠かった”からではなく、“置き去り”“放置”という“処理”の仕方を選んだからです。飢餓の中、人として壊されていった人たちが“身内”にいたことを見つめなかった結果です。もちろん「かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します」という「天皇陛下の『おことば』」(8月15日、朝日新聞)が、死んで置き去りにされた人たちの事実に届くはずはありません。
「広告批評」に、62年前の“戦時広告”が特集で紹介されていました。「慰問袋に必ずイマヅ蝿取粉/皇軍兵士を南京虫、虱、蝿から救え!」(今津化学研究所)。3000~4000tの名ばかりの輸送船に3000~4000人の兵士が詰め込まれ、南京虫、虱に悩みながら、パプア・ニューギニアに運ばれていきました。そして“負傷”した傷にわいたウジをポロポロ落ちるにまかせたとしても、慰問袋の“イマヅ蝿取粉”では間に合いませんでした。
 パプア・ニューギニアのことなどに、少なからず関心を持って見つめてきました。「旧日本兵遺骨、国をあげて確認作業を」の「お国のためにと、1畳に4、5人が押し込まれ『まるで奴隷船』と兵士の手記にある輸送船で戦地に送られ、あげくの果てには、・・・62年間の政府による事実上の死体放置。近代国家のすることだろうか」(前掲、朝日新聞)について、この国とこの国の人たちが刻んできた取り返しのつかない結果を引き受けたのは、今までのところ死んで置き去りにされた“皇軍兵士”でした。
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