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2007年10月04週
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 トロイアから帰還の途中、パルエケス人の国にたどり着いたオデュッセウスは、食事の席でアルキノオス王に「・・・神々とは近親の間柄」と紹介されます。しかしオデュッセウスは、“神々とは近親・・・”と紹介されることを、強く否定します。「アルキノオス王よ、それはとんでもないお考え違い、御覧の如くわたくしは、広い天空にお住まいの神々とは、姿も形も似ておりません。まぎれもなく死すべき身です。この世で一番苦難の重荷を背負っているとあなた方がお考えの、どんな人間に比べても、うけている苦しみにおいて、わたしはひけをとりますまい」(「オデュッセイア」ホメーロス、松平千秋訳、岩波文庫)。トロイア戦争に勝利した後、オデュッセイアの故郷イタケへの帰還の旅はやさしいものではありませんでした。戦場のことごとくをギリシアとトロイアの兵士たちの血で染め、トロイアを滅亡させたオデュッセウスに、神々はたやすくは帰還をゆるさないのです。オデュッセウス不在が長く続く故郷イタケでは、妻ペネロペイアは求婚者たちに言い寄られ、父よりは小者の息子テレマコスには父の国を統治する力はありませんでした。王、夫、父の帰還を待望するオデュッセウスの旅は終わりません。繰り返される誘惑に引き寄せられ振り出しに戻ってしまう帰郷の旅、トロイア戦争で九死に一生を得た仲間の命が次々と奪われていく絶望、更に冥府への旅ではトロイア戦争の死者たちの怨念とも出会わなくてはなりませんでした。そのようにして、数々の“苦難の重荷”を生きのびて“神々と近親の間柄”と紹介された時“まぎれもなく死すべき人間の身”と言ってゆずりません。どんなに運命に振り回されても、人間であること、人間であることの意味を投げ出したりはしないのです。
  

  ・コンクリートに一歳児遺体
  ・18歳祖母刺殺容疑
  ・加古川・女児殺害住民ら「巡回限界」
  ・岡山の駐車場言い争い後射殺される
  ・長男放置死容疑母親を逮捕
  ・冷蔵庫遺体遺棄起訴事実認める


 以上はすべて、2007年10月18日の夕刊の、この国の“人間”というものについての事実です(朝日新聞)。この国の人たちは、こんなにまでして人を傷つけ、人々に傷つけられて生きています。幼い子どもたちの場合、そのことを防ぎようのないということで状況はより深刻です。もし、これらのことに理由を見つけ説明をしようとすれば、それは“人間だから”というより他にないように見えます。その場合の“人間だから”と、オデュッセウスの場合の“死すべき人間のみ”の人間理解とはずいぶん隔たれています。前者は“人間だから”なんだってしてしまうという意味で、止まるところを知らない人間です。後者は、この世界のすべての苦難の重荷を引き受けることがあったとしても、人間であることに止まる人間です。


 “脳梗塞に倒れ、言葉を失い右半身不随になり、重度の障害を背負い”生きることになった多田富雄は、「・・・私は、私の中に生まれつつあった新しい人をいつか『巨人』と呼ぶようになった。期待が大きかったからでも、期待にこたえて彼が大きく育ったからでもない」と自らの「巨人」のことを定義しています(「寡黙なる巨人」多田富雄、集英社)。「ただ杖で歩こうとするときの不器用な動作、立ち上がれないでしりもちをついたら、どんなにあがいても起き上がれないという無様な姿から、単にそう呼んだ」というのがその「巨人」です。どうして「巨人」なのだろうか。その「巨人」のことを “介護保険”のことで厚生省と渡り合うまでになった「巨人」「強い発言力を持つ『巨人』になった」とも言っています。しかし、この「巨人」は、言葉はしゃべられないし、水を飲み込むことも難しいし、空腹でも物が食べられない、のた打ち回ることしかできない死ぬこともままにならない「巨人」です。それがどうして「巨人」なのだろうか。「NHKスペシャルに『脳梗塞からその“再生”~免疫学者・多田富雄の闘い~』で、「私の条件は『どんな見苦しいところもさらけ出すから、正直に私を撮影してください』ということだけ」でした。“嚥下障害の苦しみは筆舌につくせない”“毎食後に必ず必ずやってくる咳と痰の苦しみは筆舌に尽くし難い”と、いくつもいくつも“筆舌に尽くし難い”があって、カメラがその私を写すなら、“どんな見苦しいところもさらけ出すから、正直に私を撮影してください”と条件を付けられたら、たぶんその条件の筆舌に尽くし難いのを前にして、人はたじろぐよりありません。。そのようにして人をたじろがせるようにして、最も卑小なものになった人間存在が、「巨人」になることはあり得ます。「巨人」は卑小な人間存在の卑小なままの可能性を語って止まないのです。
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