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小さな手大きな手

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2007年11月02週
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 よく“ウソ”をつきます。“ウソツキ!”と言われたりします。だからと言って、全く信用をなくしている訳ではないのは、ウソはすぐにバラスことにしているからです。ウソで固めた人生を生きるつもりも、もちろんありません。で、ウソがウソとして通用する為には、その時そこにいた人が知らないことでないとウソにはなりません。幼稚園の子どもたちと教会前の川沿いの道を歩いていて、子どもたちが見つけた小魚のことで、“あれ何?”と問われた時のことです。“くじらのあかちゃん!”と答えると、一瞬真顔になって“?”となりますが、それ以上問いただしたりしないのは、子どもなりに“アホとは付き合っていられない”と思っていたりするからです。大人の場合のウソは少し込み入っていたりします。先日もぶどう酒のことで“ウソ”をつきました。いつだったか、ガリラヤのカナを訪ねた折、そこの売店でぶどう酒を買ったこと。そこのぶどう酒は“カナの婚礼の時以来のぶどう酒(水がぶどう酒になったヨハネによる福音書2章9節のぶどう酒)が今でもそのまま売られている・・・”とウソをついたところ、そこにいた半数ぐらいの人はうなずいていました。

 絵本「じごくのそうべえ」(作・たじまゆきひこ、桂米朝・上方落語・地獄八景より、童心社)の“いしゃの ちくあん”が地獄に落ちることになったのは「・・・なおるびょうにんでも、死なしてしまったり、きかぬようなくすりを売って、かねもうけをしたによって」です。しかし、この落語の時代の医者は、生死をあずかる仕事はしていましたが、治療で出来ることは限られていて、失敗ないしあてが外れても、誤差の範囲として許されなかった訳ではありません。病を得て、あるいは事故などで、多くの場合人は死に行くものとして了解され、失敗やあてが外れたことで医者を断罪することにはなりにくかったのです。ですから、“藪医者”であるのも誤差の範囲ではあったのです。そこのところを、もっともらしくしてしまった医者のウソが、「じごくのそうべえ」のちくあんの地獄行きになっています。いますが、そんな地獄からも戻ってきてしまうのですから、ウソにも寛容だったりするのです。
 11月10日(土)の新聞だけでも、いろいろな“ウソ”がバレてしまって話題になっています。
・ 船場吉兆本店も偽装
・ 加卜吉循環取引強制捜査へ
・ 山田洋行元専務裏金で米高官接待

 一時期、商品の欠陥が話題になって、新聞の社会面の下欄が軒並み、欠陥商品の“お詫び広告”だったことがあります。おおざっぱに商品を作って販売すればいい時代ではなくなったのです。部屋のストーブに、マキや石炭をほうり込んで燃やすという単純な生活の形ではなく、スイッチ一つで・・・暖まってしまうということになった時、その便利さに高度な技術が要求されることになって、しかし完全とはいかなかった結果の“欠陥商品”だったのです。密閉された室内で火を燃やせば、酸欠や二酸化炭素などで危なくなるという常識に頭をめぐらせるということをしない結果、欠陥による事故だったのです。


 で、“偽装”“循環取引”“裏金”などのウソの中でも“高級料亭の偽装”のウソは、いろいろなことをあぶりだす“ウソ”です。高級料亭が偽装した並の牛肉もブロイラーの鶏肉も命に別状はありませんから、犯罪としてとことん悪質ということではありません。そして、高級料亭で高級をしたはずの“お客さん”も、丹波牛と九州産、地鶏とブロイラーの区別はつきませんでした。食品として“産地”“賞味期限”のことで、それが偽装されていたとしても、見分け(食べ分け)は難しいのです。加工されてしまうと、味わうだけでは判別しにくいことを、これらの偽装は利用しているのですが、そもそもが解りにくいのです。というか、高級には敏感であっても、高級の中身にはちっとも敏感であり得ないのが人であること。そんなあたりまえのことを忘れてしまった結果の偽装というものがはびこっているのがこの国のこの社会なのです。そのようにして偽装する社会を作って、その偽装に振り回されています。


 旧約聖書の“十戒”(出エジプト記20章1~17節)は、古代の人たちが生きていく上で必要なこととして了解しあった約束事だったと考えられます。中でも「あなたは隣人について、偽証してはならない」は“ウソ”について言及する戒めです。こうして“ウソ”を戒める一番の理由は、それがその社会の人間関係を蝕んでしまうことを自覚するからです。あるいは、人間関係が蝕まれたこの国のこの社会ではびこっているのが偽装・ウソなのかもしれません。
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