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2007年12月02週
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 核拡散防止条約は、核兵器を持っている大国、超大国はそのままにしておいて、その他の国には核兵器を持たせないことを約束させる国務条約です。この条約が出来てから(1968年)、イスラエル、インド、パキスタンが核兵器を持つ国の仲間になりました。大国、超大国がそれを持ち続けながら、その他の国にはそれを持たせない“ダブルスタンダード”(2重基準)が、説得力を持たなかった結果で、世界はそれが使われてしまう危険を更に増すことになりました。


 核兵器は、その管理、威力などどんな国が持っても危ない兵器ですが、紛争地域で、紛争中の国がそれを持っているということで一番危ないのはイスラエルです。イスラエルが核兵器を持つ経緯で、大きな働きをしたのが核兵器を持っていて使った前歴のある超大国米国です。米国は、イスラエルの建国の後、その都度の最新の軍事力を身につけるための援助を行なってきました。ほぼ無条件で続けられてきた米国のイスラエルに対する援助が、核開発を可能にし、イスラエルを核超小国にしてしまいました。この核超小国イスラエルに対する援助は、現在でも年間に30億ドル(3,600億円)にのぼります(「イスラエル・ロビ」、ジョン・J・シアシャイマー他)。


 そして、最近、もう一つの核小国がアジアに生まれてしまいました。北朝鮮とその核兵器です。紛争地域の紛争当事者であるイスラエルの核兵器に対してほぼ沈黙を守る米国は、北朝鮮の核兵器に対しては絶対にゆずったりしません。核兵器という危ない兵器は、北朝鮮はもちろんイスラエルがそれを持っても、大国・超大国がそれを持っていたとしても世界は安全ではなくなります。なのに、自らが保有することはもちろん、紛争地域の紛争当事者がそれを保有することを黙認しておいて、北朝鮮のそれは絶対に許せないということで、そのせめぎあいが続いています。そこが“暴君”の支配する国であるというのが理由です。“拉致”をしたり、核兵器を開発し保有したりする“暴君”がいて圧制をしているのだと思います。一方、暴君はいないし、圧制を強いているのではない米国は、身勝手な2重基準(ダブルスタンダード)を使って、世界ににらみをきかせているのだとしたら、これって“暴国”ではないのだろうか。身勝手な2重基準(ダブルスタンダード)が通用するのは、いくばくかのおどし、いくばくかの強制力が働くのでなければ、たぶん誰も納得はさせられないはずです。


 かつて家族でそれがどんな無理難題であれお父さんが絶対であった、その制度を根底で支えていたのはお父さんという“暴君”でした。お父さんが暴力で家族を支配できなくなった時、家父長制という制度は崩れてしまいました。暴力以外で、お父さんが支配ではなく説得するとしたら、説得力のある言葉と、説得に値する行動で示すよりありません。という、あたりまえのことを、そこいらへんのお父さんでも身にしみて知っているのに、大国・超大国というものは、そんなことのかけらも学習することをしないで、身勝手な2重基準(ダブルスタンダード)を、その圧倒的な暴力を背景に世界に押し付けています。


 そんな身勝手な2重基準(ダブるスタンダード)の対極にあって、人と人として生きる基準のありようを簡潔に示すのが、たとえば「自分をあいするようにあなたの隣り人を愛せよ」(マルコによる福音書12章31節)です。ローマ人への手紙の場合、同じように言った後で「愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである」(13章10節)が加わったりします。結果、それは愛に限定した、そのことの定義が主題になってしまいます。“自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ”は、愛という言葉や愛という行為の定義をしているのではなく、そのありようをえぐり、自らに厳しく問うこととして、マルコによる福音書の場合は述べられています。自分を愛することと、隣り人を愛することを、“ように”でつないでいますから、少なからずあいまいですが、ただあいまいということではなく、そこでは人として生きる何かが問われています。たとえば、人が人として生きる限り、全く同じということはあり得ません。だから全く別だということではなく、自分を許す、自分に厳しくする、自分を大切にするなどのことを隣り人にも適用することを求めるのが、マルコによる福音書12章31節です。他でもない自分が問われるという意味で、一番難しいことを求めているのです。
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