7年前に「こどもとしょかん」(東京子ども図書館)で紹介されていた講演記録がきっかけで、キャサリン・パターソンの書いたものを読むようになりました。同じ頃に、キャサリン・パターソンを読むようになった、高校生のMちゃんと競うようにして、その児童文学作品を読みました。「ガラスの家族」「海は知っていた」「父さんと歌いたい」「かぼちゃ畑の女王様」そして「テラビシアにかける橋」などです(いずれも、偕成社)。キャサリン・パターソンについては、2002年9月に、スイスのバーゼルで開催された、IBBY(国際児童図書評議会)50周年大会での美智子皇后の開会式の挨拶のことを書いた文章が新聞に紹介されたことがあります。2人をつないだのは、子どもの本です。生きていくために人は多くの複雑さに耐えていかなければならない、そうして生きる人と人とのかけ橋になるのが子どもの本であるという理解でした。
キャサリン・パターソンの「テラビシアにかける橋」が映画になって上映されています。原作をもう一度読み直し、映画も見ました。みんなとは少し変わった子どもが、そこで“よそ者”として生きることの厳しさは、いつの時代のどんな学校でも変わりません。「テラビシアにかける橋」の主人公のジェシーはそんな子どもの一人でした。実は他のどんな子どもの場合も、多かれ少なかれ同じように“よそ者”である自分を抱えて、学校という世界で生きています。それなのに、自分以外の“よそ者”にはやさしくなれなかったりするのが学校です。毎日をしのぐようにして生きているジェシーなのですが、全く救いがない訳ではありません。たとえば、“貧しさ”は、家族をとげとげしくしたりもしますが、貧しさを味わって一緒に生きる家族は心の橋で結ばれることにもなります。家族だけではなく学校でも、全く自分とは違うと思っていた生徒、恐れていた教師との間にも、橋がかかることがあるのを、キャサリン・パターソンは、その物語で描きます。
“橋を架ける”というほどのことではありませんが、2月2日のもちつき大会に平木小学校の6年生が加わることになりました。1月16日に平木小学校の“とんどまつり”に、幼稚園の年長の子どもたちが“招待”されて、その“お返し”の招待状を届けたところ、土曜日にもかかわらず10人あまりの子どもたちと担任の先生がやってきて、幼稚園の子どもたちの応援でたっぷりひとうす分のもちつきをすることになりました。これには少しだけ経緯もあります。とんどまつりでは6年生がもちつきをします。つき終わった子どもたちに聞いたところ“つくのは5回”だとのことでした。で、2月2日の公同幼稚園のもちつき大会にくれば“死ぬほどつかせるから”と言ってしまい招待状になりました。
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